恒雄さんが、2024年12月19日の午前2時に都内の病院で死去しました。自分にとっては2023年に亡くなった池田大作さん同様「そういえばあの人まだご存命なのかな」系の人でした。名前が近い渡辺貞夫さんは元気に活動されています。
球界のドンとか政界の黒幕とか、なかなかな言われようで悪役のイメージが強かったですが、ひとつの歴史を作った人物であるのは間違いありません。
まあイメージが先行して、人となりについてはあまり知らないな、と気付いたので、今回お金について調べてみました。昭和のわたなべさんは大抵ナベさんかナベちゃんと呼ばれてますよね。
★ もくじ
渡辺恒雄氏、その資産の内訳と築き方
株式保有が資産の中核
なんてったって読売新聞グループ本社の代表取締役主筆であり、人気プロ野球チーム読売ジャイアンツのオーナーでしたから。彼の個人資産は、過去に報じられたところによると約260〜270億円に達するとされています。10億円が誤差という世界。
主筆というのは、新聞や出版社において編集面の最高責任者のことです。こう見えてジャーナリストとしても優秀だったそうで。
で、彼は日本テレビ放送網の発行済株式、約6.3%を所有しており、この時価が265億円相当という話。これが財政的基盤の重要な部分を形成しています。
渡辺氏は1950年に読売新聞社に入社し、さまざまな役職を経て社長に就任しました。彼の死はマスメディア時代の終焉も象徴してますね。新聞テレビの衰退は、もう毎年言われてますもんね。
不動産7億2000万円の価値ある物件群
所持する不動産については、主に東京都内の高級マンションや複数の不動産が含まれています。彼の不動産資産は、推定で約7億2000万円に達するとされており、これには一等地に位置する高級マンションが含まれています。
ガウンを着てワイングラスを回している姿が目に浮かびます。
年収は1億3000万円
年収については、過去の報道によると約1億3000万円前後とされています。長年にわたり日本の新聞界で重要な役割を果たしてきたにもかかわらず、やはり投資に比べれば勤労の報酬はしょぼいんだな、とあらためて感じます。
読売新聞グループでの経歴と功績
メディア界での影響力
読売新聞の発展
1950年の入社後は政治部での記者活動を経て、1991年に社長に就任しました。当時、彼のもとで読売新聞は発行部数が1000万部以上となり、日本最大の新聞社としての地位を確立しました。ちなみに現在の発行部数は、その6割くらいです。
言論機関としての役割
渡辺氏は「言論機関としてタブーに挑戦し、読者に問題提起する責任がある」という信念を持ち、憲法問題に関する調査会を設置、憲法改正の提案を行うなど、積極的に社会問題に関与しました。
政界への影響力
政治家との関係
政治部記者としての経験を活かし、自民党の中曽根康弘元首相などとの密接な関係を築きました。彼の発言や報道は政局に大きな影響を与えることも多く、時には政策決定に関与することもあったんだとか。
メディアの政治的役割
彼はメディアが政治に対して果たすべき役割についても強い見解を持っており、特に政治的な発言や報道が社会に与える影響を重視。メディアが持つ力を利用して、社会の健全性を保つための活動を行ってきました。
スポーツ界への影響力
読売巨人軍のオーナー
渡辺氏は1996年から約8年間にわたり読売巨人軍のオーナーを務め、プロ野球界においても大きな影響力を持ちました。ドラフト制度の改革やFA制度の整備に尽力し、球界全体の発展に寄与、球団の運営や選手の移籍にも大きな影響を与えました。
スポーツとメディアの融合
スポーツ報道の重要性を認識し、読売新聞を通じてプロ野球の情報を広く発信。これによってスポーツとメディアの関係が今となってはウザいほど強化されましたが、読売新聞の発行部数の増加にもつながりました。
結論
渡辺恒雄氏ののリーダーシップとビジョンは、読売新聞を日本最大の新聞社に育て上げただけでなく政治やスポーツの発展にもしっかりと寄与していました。
あまりリアルタイムで知らず悪いイメージもありましたが、ちゃんと偉大な人ということがわかりました。