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安田淳一の経歴|大学から米農家まで、京都城陽市出身監督の軌跡

安田淳一の経歴|大学から米農家まで、京都城陽市出身監督の軌跡

「米が無いなら、うどんや蕎麦を食べればいいじゃない」と思いますし、ジャポニカ米はアメリカやオーストラリアなんかでも生産されていて、国産よりもちょっと安い。国産ブランド米にこだわる必要はない。

どうしても糖質が欲しいならパンやパスタ、ジャガイモだってあるし、飢饉じゃないんだから食べるものはいくらでもあるんですけどね。あくまで消費者側としての話ですが。

「侍タイムスリッパー」で日本アカデミー賞2冠を達成した安田淳一監督は、米農家との兼業生活で知られています。この映画は、わずか1館から上映を始めましたが口コミで評判が広がり、その後全国300館以上で上映されるという異例のヒットとなりました。

つまり、令和のカメ止めと言えます。

安田淳一監督の学歴と映像制作の原点

大阪経済大学で8年

安田淳一監督は1967年生まれの京都府出身。大阪経済大学在学中からすでに映像制作の仕事を始めており、仕事にハマるあまり大学の卒業には8年かかったというエピソードもあります。

子ども時代の体験と興味

子どものころから絵や漫画を描くのが好きで、芸術的な感性を持っていました。高校時代、黒澤明監督の映画『椿三十郎』を観て強い感銘を受け「いつか自分も映画を撮りたい」と思うようになります。

大学時代には「こどもミュージカル劇場」に参加、脚本・演出・衣装デザイン・劇中歌の作詞など、さまざまな役割を同時にこなしました。この経験が映像制作の原点となったと語ります。

映画作りの原点は学生会。『こどもミュージカル劇場』のひのきしんを通じて、自分が作ったもので人に喜んでもらいたいという気持ちが培われたと思う

「ひのきしん」とは、天理教で言う奉仕活動的なやつのこと。「まんまんちゃん」とか、関西って不思議な語がけっこうある。

プロとしての第一歩

プロとしての映像制作のスタートは、大学時代に受けた仕事で平安神宮での結婚式ビデオ撮影。このとき師匠から「お客さんが喜ぶ映像を撮るのがプロだ」と教えられます。この夫婦、あなたたちのそのビデオが安田監督が撮ったモノだって気づいていますか?

その後はさらに、結婚式や幼稚園の発表会、企業のビデオ、イベントの中継・収録、そして映画制作へと活動を徐々に広げていきました。卒業後もさまざまな仕事を経験しながら、映像制作の道を歩み続けます。

そして2014年、ついに自主制作映画『拳銃と目玉焼』で映画監督デビュー。その後『ごはん』や『侍タイムスリッパー』といった作品を発表しています。

京都城陽市で続ける米農家と映画制作

家族と農業との関わり

安田監督は京都の南、城陽(じょうよう)市の米農家の家に生まれ育ちました。祖父の代から広い田んぼを管理し、家族みんなで米作りをしてきたそうです。監督の祖父の代ったら昭和のはじめですかね。

お父さんは京都市役所に勤めながらも、近所の人たちから頼まれてたくさんの田んぼを預かり、仕事が終わるとすぐに田んぼに向かっていたというエピソードもあります。すでにお父さんから兼業だったんですね。昭和30〜40年代ならそんなもんなんでしょうか。

父の急逝と農業の継承

2023年、お父さんが脳出血で倒れ、そのまま逝去。それをきっかけに監督は実家の米作りを継ぐことを決意します。

お父さんが生前「お前がやる時は自分の家だけやったらええ」と言っていたため、親戚や近所から預かっていた田んぼは返却、自分の家の分だけを守ることにしました。それでも1.5ヘクタールほどの広さがあり、農作業にはかなりの時間と労力がかかっています。

1.5ヘクタールつったらサッカーコート約2面分。あの倍の広さだと考えたら普通にクラクラします。

米農家としての活動と苦労

安田さんは映画監督としても活動しているわけで、撮影やプロモーションの合間に農作業を行っています。田植えや稲刈りの時期は特に大変で、映画の仕事を受ける時間もなかなか取れません。

長編作デビューが40代後半と遅めだったのは、そんなことが理由だったのでしょう。

米作りには、水の管理や害虫対策など細かい作業が多く、毎日朝早くから田んぼに出る生活を送っています。しかし現在の米農家は経済的にも厳しく、米を1袋作るごとに赤字が出ることもあるそう。

作品に込めた米農家としての経験

そんな監督の映画『ごはん』や『侍タイムスリッパー』には、米作り農家としての経験や思いがたくさん込められています。農作業をしている間に映画のアイデアが浮かぶこともあり、農業と映画制作は安田監督にとって切り離せない存在。

何にでも当てはまりそうですが「農家も映画も、手を抜かずに真心を込めて丁寧に作るところが似ている」と語っています。

映画監督としてのキャリア

自主映画からのスタート

2014年、安田監督は8万円のカメラと750万円という低予算で、自主映画『拳銃と目玉焼』を制作。これが映画監督としてのデビュー作となりました。この作品は、東映系のシネコンなど全国6都市で上映され、自主制作映画としては異例の成功を収めます。

長編映画『ごはん』のヒット

2017年には2作目となる『ごはん』を発表。この作品は、日本の米作り農家のリアルな姿や現代農業が抱える問題を描いたエンタテイメントムービーです。全国のシネコンやミニシアターで上映され、ロングランヒットとなりました。

この映画は、主人公ヒカリの姿がスタジオジブリ作品の主人公を想起させるなんて評価もあります。

また「5万回斬られた男」の異名で知られ2021年に亡くなった福本清三氏も出演されており、斬られ役のプロである彼の存在が「侍タイムスリッパー」の元ネタとなりました。

福本氏は仁義なき戦いで北大路欣也さんに撃たれて吹っ飛んでいた、あの人です。日本映画で「影の立役者」として知られ、トム・クルーズ主演の『ラスト サムライ』にも出演した人物。

彼の謙虚な人柄や「一生懸命やっていれば絶対誰かが見てくれている」という信念が、安田監督に大きな影響を与えました。誰が見てくれるかは、また別の話。

『侍タイムスリッパー』で大ブレイク

2024年、長編3作目となる『侍タイムスリッパー』が、ついに公開されます。

当初は東京・池袋シネマ・ロサでの1館上映からスタートしましたが、SNSや口コミで話題が広がり、全国300館以上での大規模公開へと拡大。観客動員数は50万人を超え、興行収入も7億円を突破する大ヒットとなります。

この作品は、江戸時代から現代にタイムスリップした侍が現代の映画撮影所で「斬られ役」として生きる姿を描いたオリジナルストーリーで、脚本や原作など監督自身が11役を担当。自ら育てた米を使った撮影シーンも話題となりました。

実は福本清三氏も出演予定でしたが、撮影前に亡くなったため、峰蘭太郎さんがその役を務めています。

受賞歴と評価

『侍タイムスリッパー』は、2024年度新藤兼人賞銀賞や第37回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞監督賞など、多くの映画賞を受賞。2025年には日本アカデミー賞でも最優秀作品賞をはじめとした複数の賞を受賞し、安田監督の名は一気に広まりました。

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