
中央アジアの、アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、パキスタン、トルクメニスタンなど。
何でスタンスタンスタンスタンつって似た名前が続くのかというと「スタン」はペルシャ語で土地という意味であり「○○人の土地」という意味で使われているんですって。
南米パラグアイとウルグアイの場合は、どちらも先住民グアラニ人の言語に由来していて「イ」が水や川を意味しており、それぞれの語源には川や土地といった意味が込められているんだそうです。たぶん福島福岡福井県も、そんな感じなのでしょう。
そんなウルグアイで世界一貧しい大統領の愛称で知られたホセ・ムヒカ元大統領が、89歳で逝去しました。質素な暮らしを徹底したムヒカ元大統領。それを象徴するのが、彼が愛用していた1987年製の空色のフォルクスワーゲン・ビートルでした。
余談ですが、アメリカの億万長者の共通点3つは「1: 倹約」「2: 倹約」「3: 倹約」だと聞いたことあります。
★ もくじ
100万ドルの価値を持ったムヒカ大統領の愛車、1987年製VWビートル
アラブの首長から舞い込んだ高額オファー
ホセ・ムヒカ元大統領の愛車として有名だった1987年製のフォルクスワーゲン・ビートルは、鮮やかな晴れた空みたいな色が特徴的。みっちゃんから買っていたら、もしかすると色は紫だったかもしれません。
2014年、この車をアラブ首長国連邦の大富豪(誰かは不明)が、100万ドル(当時のレートで約6,300万円、約63万ポンド)で買い取りたいとオファーしました。
一般的な中古車市場で1987年製のビートルがこんな価格になるなんてことは、ありえません。加えてさらに、10台の四輪駆動ピックアップトラックとの交換も申し出されたと報じられます。完全にムヒカ効果です。
世界で唯一の「大統領の資産申告書に載った車」
このビートルが特別だった理由は、これが彼の個人資産申告で唯一リストアップされた資産だったから。2010年のムヒカ氏の年次個人資産申告では、このビートル1,800ドル(約1,170ポンド)だけが記載されていました。
後年になって妻の所有する農場やトラクターなど半分の資産もリストに加わりましたが、それにしても質素。ただ太っているので、隠れてポテチなんかを食っていた可能性はあります。
いずれにしても、大統領でありながら贅沢な官邸に住まず、首都モンテビデオの郊外にある質素な花農園で妻と暮らしていたムヒカ氏。この青いビートルは、彼の「世界一貧しい大統領」というイメージを象徴する存在となったのです。
先日、引退を表明したバフェットさんも質素で有名ですよね。もしインスタでバフェットさんが美女に囲まれてシャンパンなんか開けてたら、それはそれで面白いけど。
3本足の愛犬「マヌエラ」のために手放せなかった青いビートル
この100万ドルのオファーを受けた際、ムヒカ氏は車を売って得られるお金をホームレス支援のプログラムに寄付すると語っていました。しかし実際には、ホームレス支援のプログラムに寄付しませんでした。なぜならこの車を手放さなかったから。
その理由について、彼は「愛犬のマヌエラのために必要だから」と説明。マヌエラは事故によって3本足になってしまった犬で、ムヒカ氏はこの愛犬を移動させるために愛車が必要だと述べていたのです。
もちろんこれは冗談めかして言った発言。犬のためというなら、もっと適した車はありますしね。
ムヒカ大統領の経歴
左翼ゲリラから大統領へ
ホセ・ムヒカ氏は、なんと左翼ゲリラ組織の一員として活動した経歴を持ち、その後政治の道に進んだ異色の指導者でした。彼は1970年代の軍事政権時代に13年間も投獄され、その多くを独房で過ごしたといわれています。
過酷な環境を経験したにもかかわらず、民主主義が復活した後に政治家として活躍。2010年から2015年までウルグアイの大統領を務めました。なおウルグアイでは憲法により大統領の連続再選が禁止されているため、ムヒカ氏は1期5年で退任します。
退任時の支持率は60%近くあり、国民から広く支持された指導者だったことがわかります。その理由の一つが、質素で誠実な生活スタイルと権力や富への執着のなさだったことは間違いないかと。
「世界一貧しい大統領」と呼ばれた質素な暮らし
ムヒカ氏が「世界一貧しい大統領」と呼ばれるようになったのは、彼の極めて質素な生活スタイルによるもの。
在任中も大統領官邸には住まず、妻のルシアと一緒に首都モンテビデオ郊外の質素な花農園で暮らしました。彼の所有物は前述のVWビートル、トラクター、農地のみ。
さらに、給与の約90%を慈善団体に寄付しています。自身には月々の生活に必要な最低限の額だけを残し、残りは社会に還元するというスタイルを貫きました。
大統領としての業績とリベラルな社会改革
ムヒカ政権下のウルグアイでは同性婚の合法化、中絶の権利拡大、そしてマリファナの合法化などが実現。特にマリファナ政策は、国家が生産と販売を管理する世界初のモデルとして注目を集めます。文化的には先進国ですね。
文化面だけでなく、経済の面でも安定した成長を維持。貧困削減や教育の機会均等にも力を入れ、社会福祉を充実させる取り組みも進めました。さらに退任後も国際的な会議や講演で活躍し、グローバル化した消費社会への警鐘を鳴らし続けました。
南米の小国ウルグアイとは
ラテンアメリカ初の福祉国家
ウルグアイは南米大陸の南東部に位置する小国で、ブラジルとアルゼンチンという二つの大国に挟まれています。人口は約340万人と、6期生大越ひなのさんの出身地静岡県よりちょっと小さいくらいの規模ですが、その社会的・政治的な成熟度は南米でトップクラス。
さらにこの国は、ラテンアメリカで最初に福祉国家を確立した国。比較的高い税金を通じて維持されている福祉制度は市民の生活の質を高め「南米のスイス」という異名もあります。
国土は181,034平方キロメートルで日本の約半分。首都はモンテビデオ、公用語はスペイン語です。また植民地時代の町並みやビーチリゾート、一年中穏やかな気候といった要素が観光業の発展にも貢献しています。
民主主義の伝統と軍事政権時代
ウルグアイは1828年にブラジルとアルゼンチンから独立。その後オルドニェス大統領の下で社会改革が進められ、進歩的な国家としての基盤が築かれました。
しかし、1970年代初頭には左翼都市ゲリラのトゥパマロス(ムヒカ氏もその一員)による攻撃などの政治的・経済的混乱が起こり、1985年まで続く抑圧的な軍事政権の時代が始まります。
この間、多くの政治的反対者が投獄され、拷問を受け、あるいは失踪させられました。ムヒカ氏自身もこの時期に長期間投獄されていました。
1985年に民主政府が復活して以降は、経済の自由化を進めながら政治的安定を維持しています。
2024年の大統領選と国の進路
2024年11月、ウルグアイでは大統領選挙の決選投票が行われ、中道左派のヤマンドゥ・オルシ氏が与党保守連合の候補アルバロ・デルガド氏を破って当選。
オルシ氏は選挙戦で「投資家を怖がらせるような増税はしない」というビジネスフレンドリーな姿勢を示しており、経済政策では穏健な路線を取ると見られています。
ウルグアイの選挙は、アルゼンチン、ブラジル、アメリカなど西半球の他の国々で見られたような深い分断が表面化することなく、二人の穏健派候補が争うというパターンでした。ウルグアイは、恐怖のイメージがある南米で1、2を争う治安の良さがあります。
ブラジルの国際会議で行なったスピーチ
スピーチの背景
2012年6月にブラジル・リオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」。この会議は持続可能な発展と世界の貧困問題をテーマに、各国の代表が集まって議論する場でした。
多くの国が経済成長や消費の拡大を重視する中、ムヒカ氏はまったく違う視点から問題提起をします。
スピーチの主な内容
本当の豊かさとは何か
現代社会が豊かさを追い求めるあまり、本当に大切なものを見失っていると指摘。「貧しい人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、いくらあっても満足しない人のことだ」と語り、物質的な豊かさだけが幸せにつながるわけではないと訴えました。
消費社会への疑問
先進国の消費モデルを、世界中が真似し続けることの危険性も。「西洋の豊かな社会のような消費を、世界中の70億人ができるでしょうか?そんな資源は地球上にありません」と問いかけ、今のままでは地球の資源が持たないことを強調しました。
幸せの本質
「発展は人類に幸福をもたらすものでなければならない」と述べ、愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、必要最低限のものを持つことこそが本当の幸せだと語りました。
社会のあり方を見直す必要性
「水や環境の危機が問題の本質ではなく、私たちが築いてきた文明のあり方や生き方こそが問題だ」と主張。つまり、今の社会モデルや生活スタイルそのものを見直さなければならないと訴えました。