
心神耗弱とか心神喪失とか訴えるのは刑罰が軽くなるからだろうけど、言ってみれば人を殺すヤツなんてみんなそうだろうから減刑とか意味ない気がするんですが。不思議。
あと「誰でもよかった」んだったら、せっかくなら悪いやつをターゲットにしてほしい。特に動物虐待する外道を。
造田って、なんて読むんだろうと調べてみたら「そうだ」と読むそうだ(「ぞうだ」「ぞうた」の可能性もあり)。
★ もくじ
造田博の生い立ち
幼少期と家庭環境
造田博(ぞうたひろし)は1975年11月29日、岡山県倉敷市に生まれました。倉敷と言えば水道橋博士の出身地でもあります。家族は両親と4歳上の兄との4人家族で、父親は大工、母親はミシン縫製の内職をしていました。
1978年10月には一家で岡山市南区(当時は児島郡灘崎町)に引っ越しています。
幼年期から小学校時代
幼少期は経済的に安定していましたが、小学校高学年の頃に父方の祖父の遺産が入ったことで家庭は一変。真面目だった父親が仕事を辞めてギャンブルに傾倒し、母親も中学生になると内職を辞めて保険外交員に転職。
高価なブランド品を購入し始め、さらにギャンブルにも手を出すようになりました。お金の遣い方を知らない人が大金を持つとこうなるという典型例。
中学時代の苦悩
両親がギャンブルに依存していくなか、造田は「大学に進学して事務職になりたい」と目標を持ち、勉強に励みます。その結果、家計が苦しいなかでも倉敷天城高校という進学校へ進学することができました。
高校生活と家族の崩壊
高校入学後もちゃんと勉強していたのに、両親の金銭感覚は元に戻ることなく借金を重ねていきます。ついには4千万円もの借金を抱え、毎日のように借金の取り立てが来る状況に。
造田が高校2年生の時、ついに両親が借金を残して家を出てしまい、造田は進学の夢を諦めて退学。自身のアルバイトで生活費をまかなうことになりました。
兄との再会とその後
兄は大学進学を機に実家を離れていましたが、造田は両親失踪後に兄が暮らす広島県福山市に身を寄せ、兄の紹介でパチンコ店に勤務します。この店の寮で働きながらしばらく生活しますが、体力的な辛さから仕事を辞めてしまい、兄の家へ。
アメリカへの憧れと渡米
1998年6月、造田博はわずか200ドルを手にアメリカ・オレゴン州ポートランドへ突然渡航しました。これは「アメリカなら誰もが再起できる」という考えに影響されたため。
しかし英語も話せないため仕事も見つからず、所持金はすぐになくなってしまいます。200ドルは無謀すぎる。最終的に日本領事館の世話で帰国することになりましたが、帰国後も職を転々としながら生活をしていました。
1999年、池袋通り魔事件
概要
1999年9月8日の昼、東京都豊島区東池袋で発生した事件。サンシャインシティ地下通路からエスカレーターを上った造田博死刑囚は、ハンマーと包丁を手に通行人に襲い掛かりました。
- 事件はわずか6分間で終結し、66歳女性・29歳女性の2人が死亡。その他6人が負傷。
- 現場では「むかついた、ぶっ殺す」と大声をあげたとされ、複数の通行人と高校生グループをランダムに攻撃。
- サンシャイン60通りや池袋駅前で通行人たちによって取り押さえられ、現行犯逮捕。
裁判では、犯行時の心神耗弱状態が主張されたものの、死刑判決が確定。通常の通り魔事件よりも厳しい判決となりました。
精神状態と動機
造田死刑囚は「自分は社会に必要とされていない存在」と感じていたと語られています。家族の崩壊、孤独、社会の中での無力感が積み重なり、自己肯定感の喪失が事件の要因の一つと考えられています。
事件直後には動機は明らかにされていませんでしたが、兄や周りの人間関係が希薄であったこと、再就職がうまくいかず精神的に追い詰められていた状況が裁判で浮き彫りになっています。兄貴も冷たかったんですかね、自分のことだけでいっぱいだったんですかね。
造田博死刑囚の現在
死刑判決
当時23歳だった造田博は2007年に死刑が確定しましたが、2025年現在も刑の執行はされていません。事件は、携帯にかかってきた無言電話をきっかけに社会への反発心を募らせ、世間を驚かせて自分を認めさせようとしたと裁判で明らかにされています。
まぁ無言電話なんてただのスイッチですよね、根本はクソ親のせいで人生をメチャクチャにされた鬱憤ですよね。
造田の拘置所での生活
死刑確定後、造田は葛飾区小菅の東京拘置所に収監されています。彼の拘置所での生活は非常に暗く、廃人みたいになってるそうな。食事や生活環境にも無関心で、白いシャツは洗濯せず黄色く変色、トイレも流さないため房内は悪臭が充満。
言葉もほとんど発せず、一日中下を向いて過ごしているとの証言もあります。
死刑が執行されない理由
造田博の死刑が執行されない理由の一つに、上記のような精神状態の問題があります。日本弁護士連合会(日弁連)は2018年に、造田博を含む死刑確定者の中で「心神喪失」が疑われる者について、死刑執行の停止を求める勧告を法務大臣に対して行いました。
「造田は犯行時に統合失調症の影響で心神喪失状態にあった」と主張し、再審請求も行いましたが2012年に棄却。しかし、心神喪失状態が疑われることで刑事訴訟法第479条により死刑執行が停止されている可能性が高いです。
さらに、死刑確定からすでに18年以上が経過している点も特異で、死刑執行はほとんど遅延している状態です。
被害者遺族の思い
被害者遺族にとっては、造田博が生き続けていることは耐え難い現実。犠牲者のうちの1人の亡くなったB子さん(事件当時29歳)の夫は、造田が妻よりも長生きすることを何よりも避けたいと語っています。
犯人が死刑だろうがなんだろうが、法は被害者遺族に対して何のケアもありませんよね。この国は被害を受けたものは受けっぱなしというのが実情です。なんだかな。