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青木政憲の生い立ちと、長野県中野市議会議長だった父親の現在

青木政憲の生い立ちと、長野県中野市議会議長だった父親の現在

首都圏民にとって中野と言えば「区」ですが、長野では「市」です。その長野県中野市で2023年に起きた4人殺害事件の被告、青木政憲に対し、長野地裁が死刑判決を言い渡しました。

ちなみに長野県の市町村の数は77で全国第2位、そのうち「市」は19あります。昔は市町村が100以上ありましたが合併の連続で今の数になりました。この国は確実に消滅へ向かっています。

中野市議会議長だった父、青木正道氏の現在

最近の正道氏

政憲死刑囚の父である青木正道氏は事件当時、中野市議会議長を務めていた地方政治家でした。2023年5月25日の事件発生後、息子の逮捕を受けて翌26日に議員を辞職しています。まあ、いられるわけないですよね。

理由は一身上の都合とされました。「一身上の都合」とは、個人的な事情や理由のこと。間違っていません。事件の後、正道氏と妻は人前に姿を見せることはほとんどありません。買い物もネットスーパーかもしれません。

地元メディアの報道によれば、夫妻は地域の行事などへの関与も減り、自宅敷地内で静かに暮らしている様子が伝えられています。以前は果樹園を営み、地域の農業振興に熱心だったことでも知られていますが、事件以降は事業規模を縮小しているそうな。

息子の犯行については「親として病気を見逃してしまった」と法廷で語りました。ただ、そもそも病気にしたのは親が原因である可能性も。

事件後に父親が語った後悔

正道氏は公判の中で「息子は悪い。本当に親として悔やんでも悔やみきれない」と述べています。息子の異変に気づきながら十分な対応を取れなかったことについて、周囲に「親としてあの時もっと寄り添えていれば」と語ったとも伝えられています。アトノマツリですが。

青木政憲の生い立ちと家庭環境

家庭環境が与えた影響

以下のように政憲の生い立ちと家庭環境は「愛情はあったが障害に対する支援の仕組みがなかった」構造の中にいました。わかりやすい虐待や家庭崩壊は報じられていない中、一人の人間として壊れていく過程は、理解しにくい闇が見えます。

ただし専門家は、この家庭のあり方を「過保護で排他的な関係」と表現しました。親の影響が強い中で、息子が自己肯定感を育てにくくなり、孤立を深めた可能性を指摘しています。

立てこもりの際に母親を人質にとっていることから、母親の接し方に何か原因があったのではないかともちょっと思う。全くの憶測ですけど。

幼少期と家族の背景

青木政憲は、長野県中野市江部生まれ。青木家は代々この土地で果樹園を営んできた農家です。

父親は果樹園の経営者で、地域の農業組合や祭りにも積極的に参加し、地元では温厚で信頼できる人物として一目置かれる存在。

母親は家庭と農業の仕事を両立しながら、家庭の中心として家族を支えました。特に幼い頃から光や音に過敏だった政憲を、根気強く世話していたと伝えられています。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)だったのでしょうか。

そんな家庭でありながら、政憲は幼少期から内向的で集団行動に馴染みにくい面を見せていました。

幼稚園時代には園長から「多動傾向がある」と指摘を受けたこともありましたが、母親はそれを「元気な子ども」として受け入れていたといいます。こういったマイノリティへの理解は、今よりも乏しかったでしょうしね。

少年時代

少年時代は地元の野球チームに所属し、ポジションはキャッチャー。卒業文集には将来の夢を医者と書くほど、勉強もできたみたい。この時期は周囲から「明るくて優しい子」と評され、穏やかに過ごしていたそうです。ここではまだ兆候は見えません。

しかし高学年になる頃から、友人関係にわずかな変化が見られ始めます。規律や集団行動に苦手意識をもち、他の子どもたちと合わせることにストレスを感じ始めていたそうな。

中学から高校時代にかけての変化

中学校でも野球部を続け、3年生の時にはレギュラーに。ただ卒業文集では「この世で最も大事なのは命、次は金だ」と綴るなど、次第に内面に変化が。この場合、命ってのはあくまで自分の命だったんでしょうけど、死刑になるようなことしたらお終いだろ。

高校は県内有数の進学校、長野県須坂高校に進学。しかしここからは友人との交流がほぼなく、父親の証言によると「3年間で友達はひとりもいなかった」とされています。小中学校での社交的な側面は失われ、勉学でもつまずきが見え始めました。

周囲との関わりが希薄になるにつれ、政憲は自己否定的な感情をますます強めていきます。

大学時代と精神的な変調

一浪の後、政憲は東海大学の情報通信系学部に進学、一人暮らしを始めます。この後、次第に精神的な不安が高まり「部屋に盗聴器がある」「監視カメラが仕掛けられている」といった被害妄想を両親に訴えるように。最終的には、両親に連れ戻され大学を中退します。

家族は精神科への通院を勧めたものの本人は拒否、医療的な支援につながることはありませんでした。

引きこもり生活と家族との関係

帰郷後、青木は家業である果樹園を手伝うこともありましたがそれも長続きせず、次第に家にこもる生活が増えていきました。近所付き合いも絶ち、外出もほとんど飼い犬の散歩だけ。

「挨拶をしない」「突然怒鳴る」などの行動が目撃されるようになり、孤立は一層深まります。

父親は市議会議長、母親も複数の事業を手がけ、弟は自衛官、妹は体育大学卒。どちらかというと社会的に成功している家族です。その中で引きこもる自分との対比は、自分の中により強い劣等感や孤独感を植え付けたのかもしれません。

犯行当日の出来事と裁判

概要

2023年5月25日午後4時26分、長野県中野市江部の住宅街で、中野市の農業従事者だった青木政憲は散歩中であった村上幸枝さん(66歳)と竹内靖子さん(70歳)にナイフで襲いかかりました。

その後、現場に駆けつけた警察官2人、玉井良樹警部補(46歳)と池内卓夫巡査部長(61歳)にも猟銃を発砲。どうせ撃つなら市街地出没のクマを追って欲しかった。

上記4人を殺害後、政憲は自宅に戻り母親を人質に取って約12時間にわたって立てこもりました。最終的に翌日の午前4時30分頃、警察の特殊部隊が突入し、政憲は殺人容疑で現行犯逮捕されます。

裁判で明らかになった被告の様子

政憲は初公判からほぼ黙秘を貫きましたが、最終陳述でようやく「人を傷つけて申し訳ない」と発言しました。弁護側は心神耗弱を主張しましたが、地裁は完全責任能力を認定し、2025年10月14日、死刑を求刑。

ただ動機や精神状態については複雑な証言が交錯し、なんともモヤモヤが残る事件となっています。

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