
以前、Amazon prime videoで「バイオグラフィー:KISSTORY 地獄の軍団」を観たわけですが。もちろんポールとジーンの目線で作られたドキュメンタリーだとは言え、なかなか寂しいものがありました。
世界でKISSの人気が爆発していた70年代後半、どんどんアルコールとドラッグに溺れてまともに活動ができなくなっていた状態。TV番組に酔って登場しヘラヘラして面白くない冗談を言っているエースを、ジーンとポールが冷めた目で見ているシーンは衝撃でした。
近年は正当に高く評価する人が増えましたが、ギタリストとして長く過小評価され、確かに手グセ的フレーズも多かったですけど、各楽曲を印象付けるようなソロは名演だらけだとハッキリ言えます。作品は、これからもずっと生き続けますよ。
★ もくじ
KISS加入前
Early Life(幼少期)
エースは1951年生まれ、ニューヨーク・ブロンクスの労働者階級出身。父親はオランダ系、母親はチェロキー族の血を引いていました。
両親や兄弟姉妹は皆楽器を演奏していたため、彼は正式なレッスンを受けることなく独学でギターを学びました。その後、1964年に初めてのエレクトリックギターを手に入れます。
学生時代と初期の活動
2つの高校を退学し、3つ目の高校も中退しかけましたが、ぎりぎりで卒業。この間、彼は郵便配達員、メッセンジャー、家具運搬、酒屋の配達など、さまざまな仕事を経験しました。
高校時代の友人たちは、彼が女の子と出会う手伝いをするのがうまかったことから「エース」というあだ名を付けました。実は本名はポールです。
初期のキャリア
KISS加入前は、ニューヨークでカテドラル、ジ・アウトレイジ(兄と共演)、モリモなど地元のバンドで活動していました。なぜかドラマー、ミッチ・ミッチェルのローディーを短期間務めたこともあるそうです。
そして1972年後半、エースはヴィレッジ・ヴォイス誌のリードギタリスト募集広告に応募し、後にKISSとなるバンドのオーディションを受けることになります。
KISSの創成期から現在まで
KISSの誕生とエースとの出会い
1972年、ニューヨークで活動していたポール・スタンレーとジーン・シモンズは、バンド「ウィキッド・レスター」を経て、新しいバンドを作ろうとしていました。そのオーディションに現れたのが、エースでした。なおウィキッド・レスターは、YouTubeでも聴けます。
左右違うスニーカー姿で登場した彼の奇妙なセンスとプレイは、すぐに2人の心をつかみ、ピーター・クリスを加えた4人で「KISS(キッス)」が誕生。彼らはニューヨークのクラブで初のライブを行い、1973年3月のステージで初めて4人全員がフルメイクを施して登場します。
ちなみにこのメイクについては「日本の歌舞伎にヒントを…」なんて都市伝説がありますが、実際はまったく関係ないみたいです。
大ブレイク
エースは「スペースマン(Spaceman)」という宇宙をイメージしたキャラクターを作り上げ、ギターにフラッシュライトや発煙装置を組み込むことで、他にないステージパフォーマンスを生み出します。
1974年のデビューアルバム『Kiss』からのスタジオ盤3枚は売れなかったんですが、ライブ動員は増え続けていました。そこで次作をライブアルバムにしたところ、これが大ヒット。過去の作品や、その後のスタジオ・アルバムもヒットし、バンドの人気は一気に広がりました。
キッス脱退と、その後
ソロ活動と脱退
ツアーの連続に疲れ、個々の興味が外に向きバラバラになりそうだった1978年、KISSの各メンバーがそれぞれ同時にソロアルバムを出すという企画が行われました。
この時のエースのアルバムに収録された「New York Groove」は全米トップ40入りを果たし、メンバーの中で一番成功を収めました。しかし結局、1982年にエースはKISSを離脱してしまいます。アイドル風に言えば卒業ですね。
その後は自身のバンド「Frehley’s Comet」を結成、活動を続けていきました。
再結成と再びの輝き
1996年、当時のアンプラグドブームによる番組出演をきっかけに、KISSは再結成ツアーを発表。ファンが求めていたオリジナルの4人で世界を回ることになりました。この再結成ツアーは大成功となり、バンドは再び世界の音楽シーンにその名を刻みます。
そして2014年、KISSは「ロックの殿堂」入りを果たし、エースもその一員としてロック史に名前を刻みました。結局はまた似たような理由で分裂してしまうわけですけど。
晩年と伝説の終焉
2020年代に入ってもエースは精力的に活動を続けていました。2025年には新アルバム『10,000 VOLTS』を完成させ、アメリカ各地でツアーを実施していました。しかし8月にはスタジオでの転倒事故で、一部公演をキャンセルすることに。
そして同年10月16日、ニュージャージー州モリスタウンで74歳の人生に幕を下ろしました。