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サリバン先生:奇跡の人と、そのエピソード

2024年5月3日

サリバン先生:奇跡の人と、そのエピソード

とてつもない根気と何にも動じない献身の姿勢で有名な「サリバン先生」は、幼少期(1歳半くらい?)に病気が原因で視力と聴力を失ったヘレン・ケラーの人生において、極めて重要な役割を果たしました。

2人のケタはずれな道のりは、深い思いやりをともなう人間的つながりがもたらした、変革の力の証なのです。

サリバン先生の生い立ちと挑戦

1866年、アメリカのマサチューセッツ州フィーディングヒルズに生まれたアン・サリバンは、目の感染症で若くして視覚障害を抱えていました。

しかし彼女は教育に情熱を燃やすことで逆境に打ち勝ち、パーキンス盲学校で教える技術と情熱を磨きます。

ヘレン・ケラーとサリバン先生との出会い

アン・サリバンは1887年、幼児期から目が見えず耳も聞こえなかった6歳の少女ヘレン・ケラーを教えることに。

甘やかして育てられたヘレンは超絶なワガママ娘。になっており、両親は改善を切望していました。

アン・サリバンは、揺るぎない決意でこの難題に挑みます。

この出会いはアン・サリバンとヘレン・ケラー、二人の人生の転機となりました。

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ブレークスルー

アン・サリバン先生のコミュニケーション手段は、必殺「指文字」。

辛抱強くヘレンの手のひらに文字をなぞって、対応する単語を教えます。

もちろん時間はかかりましたが、アン・サリバン先生の粘り強い努力は着実に実を結び、ヘレンは言葉を理解していきました。

言葉を扱えるようになったヘレンは、自分の意思や感情を明確に表現できることで、まったく新しい世界が開けていきます。

「奇跡の人」のタイトルで作品化

ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの奮闘の物語は「奇跡の人」というタイトルでメディア・フランチャイズ(Media franchise)展開され、一気に世に知られることになりました。

これはヘレン・ケラーの1903年の自伝「わが人生の物語」が、放送や演劇その他さまざまな形で翻案したもの。

最初の作品は、ウィリアム・ギブソンが脚本を書き、テレサ・ライトがアン・サリバンを、パトリシア・マコーマックがヘレン・ケラーを演じた、1957年プレイハウス90のテレビドラマでした。

※「プレイハウス 90」は、1956年から1960年まで全133話が放送された、アメリカのドラマシリーズ

アン・バンクロフトとパティ・デュークが出演した1962年の映画のほか、1979年と2000年にもリメイクされています。

ブロードウェイと映画化

ウィリアム・ギブソンは、このテレビドラマをブロードウェイ向けに脚色し、1959年から上演した。

その後は719回上演され、1960年のトニー賞演劇賞を受賞。

アン・バンクロフト(アン・サリバン役)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー役)は映画版で再演し、批評家から絶賛されアカデミー賞も数回受賞しました。

映画によって、この実話ベースの物語はさらに多くの人たちに知らしめることとなります。

アン・サリバン先生が遺したもの

アン・サリバンの遺産は、ヘレン・ケラーとの活動だけにとどまらず、生涯を通じて教育と障害者の権利を擁護し続けました。

彼女が特別支援教育の分野に与えた影響は今もなお深く、数え切れないほどの教育者や学習者にインスピレーションを与えています。

まとめ

ヘレン・ケラーの教育に対するアン・サリバン先生の献身は、完全に二人の人生を変えました。

二人の物語は多くの人たちの希望の光となり、忍耐、共感、不屈の決意があれば、どんな困難も乗り越えられることを思い出させてくれます。

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