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1989年イギリス、ビリー・ダンロップ事件と被害者の母アンの闘い

1989年イギリス、ビリー・ダンロップ事件と被害者の母アンの闘い

この間の名古屋主婦殺害事件とか時効があれば未解決のままだったと思うと震えるし、その前には時効で犯人が捕まらず捜査終了なんてのもいっぱいあるのを見ると検察とか司法ってあまりに不完全で、悲しみが深い。

1989年、イギリスのビリンガムで起きたジュリー・ホッグさんが殺害された事件。犯人のビリー・ダンロップは一度無罪になりかけましたが、被害者の母親アンの執念が法を変えました。言い換えると、母親が動かなければ犯人は自由の身だったということ。

人類は、まだまだ発展途上です。

1989年、ビリー・ダンロップの事件について

事件が起きた日と背景

1989年11月16日、イギリス。ダラム州ビリンガムという町で、22歳のジュリー・ホッグがビリー・ダンロップに殺害されました。ダンロップは当時25歳で、彼女の家の近所に住んでいました。

殺害の様子

その日ダンロップはビリンガムのラグビークラブで酒を飲み、泥酔状態。ケンカで目をケガして病院に行ったあと、ジュリーの家を訪ねます。

ダンロップはジュリーと以前から顔見知りで、身体の関係を迫りますがジュリーは拒否。さらに目をからかわれたことでダンロップは激怒、ジュリーを絞め殺して遺体をバスタブ裏のパネルに隠しました。いやそれ隠したって言うのか?

遺体の発見

ジュリーの母アン・ミングは、娘が行方不明になった翌日、警察に届け出ます。警察は最初、家を調べましたが何も見つかりません。今となっては、初期捜査ではミスが多く証拠が十分に集まらなかったようです。

3ヶ月後、アンが自分で娘の家を調べるとお風呂場から変なにおいが。パネルを外したところ、毛布にくるまれたジュリーの腐った遺体が出てきました。警察がもう一度家を調べると天井裏に銀行カードと日記が見つかり、本格的な捜査が始まります。

容疑者の逮捕と裁判

毛布から採取されたDNAでダンロップが容疑者として浮上、さらに彼の家の床下からジュリーの鍵が発見されます。ダンロップは1990年2月13日に逮捕されました。

1991年5月7日にニューカッスルクラウン裁判所で裁判が始まり、鍵の指紋や毛布の精液、服の繊維などの証拠が提出されました。ところが陪審員は有罪の結論が出せず、10月3日に再審。2回目でも決まらず、ダンロップは無罪になります。

当時の二重処罰禁止の原則というルールで、それ以上裁判を続けることができなくなりました。

ビリー・ダンロップの自慢と偽証罪

無罪になったダンロップは町のパブで殺したことを自慢。その後1998年に他の女性を襲った罪で服役した際には、元カノや友だちに手紙で殺したことを認めており、女性看守に自慢話もしていました。

看守が隠しマイクで90時間録し、ダンロップは偽証罪で6年の刑を追加で受けました。かっとなって人を殺すような奴なんで、頭は悪いです。

裁判2度の失敗と、ダブル・ジョパディーの壁

2度の裁判で有罪に届かず

ダンロップは1991年に2度、殺人罪で陪審裁判にかけられましたが、どちらの裁判でも陪審員たちは有罪・無罪の評決に必要な一致に達することができませんでした。

評決不能となった結果、裁判所はダンロップに対して正式な無罪判決(アクイット)を言い渡し、この時点でジュリー・ホッグ殺害事件については、彼は法的に無罪と扱われることに。

ダブル・ジョパディーと被害者遺族の絶望

イギリスでは長いコモン・ローの伝統の中で「同じ犯罪について同じ人物を二度裁いてはならない」というダブル・ジョパディーの原則が、約800年にわたり被告人保護の重要なルールとして守られてきました。

そのため、いったん無罪となったダンロップは、たとえ新しい証拠や自白が出てきても同じ殺人罪で再び裁判にかけることができず、ジュリーの母親アン・ミンら遺族は「真犯人がわかっていても裁けない」という理不尽な状況に直面します。

獄中での自白と偽証での起訴

すでに殺人については無罪になっていたため、検察官はダブル・ジョパディーの原則により殺人罪での再起訴ができません。そのため「宣誓のもとで嘘をついた」という偽証罪でしか裁けませんでしたが、とりあえずこれで2001年に6年の刑が言い渡されました。

母親アンの闘いと法改正の軌跡

執念の活動

ジュリー・ホッグの母アン・ミンは殺人罪として裁けないことに強い怒りと無力感を感じます。

そして、およそ15年以上にわたり政治家やメディア、市民団体に働きかけ、ダブル・ジョパディー原則の見直しと重大犯罪については「新たで説得力のある証拠」が出た場合に再審理を可能にする法改正を求め続けました。

2003年刑事司法法とルール変更

こうした世論の高まりや他の冤罪・未解決事件への問題意識も重なり、イギリス議会は2003年に「刑事司法法(Criminal Justice Act 2003)」を制定。

これで殺人など特に重大な犯罪について新しくかつ非常に強い証拠が見つかった場合には、過去に無罪となった人でも控訴院の許可を得て再び裁判にかけることができることになります。

2006年、ビリー・ダンロップの再審理と有罪判決

法改正を受けてウィリアム “ビリー”・ダンロップはジュリー・ホッグ殺害事件について再び起訴され、ロンドンのオールド・ベイリー(中央刑事裁判所)で裁判を受けることに。

そして2006年10月、有罪判決が確定。最低服役期間17年の終身刑が言い渡され、ダブル・ジョパディー原則の例外が適用されて殺人で再び有罪になったイギリス初の事例となりました。

事件が残した教訓と現代へのつながり

被害家族の声から生まれた法の進化

ダンロップ事件は、無罪の人を守るルールが、ときに「有罪の人を守る盾」にもなりうるという現実を社会にはっきりと見せました。

今では殺人など一部の重大犯罪については、新しい決定的証拠があれば再審理が可能となり、被告人の権利を守りつつ、被害者側の正義の実現も目指すという、より複雑で慎重な仕組みが作られています。

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