
日本の三大未解決事件「世田谷一家殺害事件」「柴又上智大生殺害・放火事件」そして「八王子スーパー強盗殺人事件(ナンペイ事件)」。
ほかにも「歌舞伎町雑居ビル明星56ビル火災」「長岡京ワラビ取り主婦殺人」、もっと言えば「3億円事件(1968年の現金輸送車強奪)」や「グリコ・森永事件(1984〜1985年の食品会社脅迫)」。
さらにさかのぼって「帝銀事件」「下山事件」も未解決ですが、近年では冒頭の3件が「三大未解決事件」とされる傾向です。なぜかというと、捜査中に時効が廃止されたから。
1995年7月、東京は八王子の「スーパーナンペイ大和田店」で発生、世間を震撼させた八王子スーパーナンペイ事件が未解決のまま30年を迎えました。現在まで被害者の稲垣則子さんを中心に、きな臭い噂が撒き散らされています。
★ もくじ
スーパーナンペイ事件、30年目の疑問…稲垣則子さんの“怨恨説”は本当に有力?
事件の概要
1995年7月30日、東京都八王子市のスーパーマーケット「ナンペイ大和田店」の事務所で、女性3人(パート従業員の稲垣則子さん、高校生アルバイトの矢吹恵さんと前田寛美さん)が拳銃で撃たれ、殺害されました。
事件現場からは100点以上の指紋が採取されましたが、7点はいまだ未照合のまま。当時となりの公園で盆踊りが開催されていたというのが、なんか不気味さを増しています。
捜査の経過と30年の節目
警視庁はこれまで22万人以上もの捜査員を動員しましたが、犯人に直結する有力な物証は今も見つかっていません。現場に残された指紋や足跡などの痕跡は再解析の対象となっていて、最新技術による再調査が続けられています。でも見つかってません。
怨恨説とは?
現場にあった金庫や被害者たちの所持品には、ほとんど手がつけられていませんでした。犯人はわずか2~3分という短時間で現場から立ち去っています。また、金庫には銃弾の痕がありましたが、金庫を無理に開けたような形跡はありませんでした。
つまり、金銭目的ではなく怨恨による犯行の可能性が指摘されてきました。そしてバイトの女子高生を殺すほど恨むってのは考えにくすぎるので、どうしても稲垣さんへ注目が集まります。
稲垣則子さんへの怨恨説の根拠
- 被害者である稲垣さんが元スナックのママだったこと
- 夜の仕事を通じて多くの知人やパトロンがおり、金銭トラブルも多かったこと
- 愛人関係や、大きな金の貸し借りのトラブルの噂があったこと
があげられています。
怨恨説に対する疑問と課題
しかし、怨恨による犯行が本当に有力なのか、という点には疑問の声も。例えば
- なぜ稲垣さんの自宅ではなく、あえてスーパーの事務所で事件を起こした?
- 怨恨が動機なら、もっと目立たないやり方もあったのでは?
- 金庫を開けさせようとした可能性も否定できない
など、動機や手口に関する矛盾や不可解な部分が残ります。犯人が捕まっていないため「本当の動機は論争」は続いていますが、現時点で怨恨説が単独で動機の決め手にはなっていないのが実際のところ。
稲垣則子さんはどんな人だった?──噂と生前の人物像
どんな人物だったのか
稲垣さんは、当時47歳のパート従業員。しかし、単なるスーパーのパートって感じじゃありませんでした。彼女は徳島県出身で、若い頃に集団就職で上京、水商売の世界で働き始めます。いわゆる団塊の「金の卵」と呼ばれた世代ですね。
30歳前後(70年代終わりころ?)のころには、八王子の高級クラブ「琥珀/こはく」でナンバー2の人気ホステスにまで上り詰めたそうです。
そして1984年ころに独立、わかおというスナックを八王子の繁華街で経営していました。夜の八王子ではちったぁ知られた女性だったよう。関係ないけど、なんでこの店名にしたのかちょっと気になりました。
稲垣さんの暮らしぶりと人間関係
同時に、多くの男性パトロンを持ち、複数の男性との間で金銭トラブルも抱えていたことが分かっています。パトロンてのは通常、芸術家や団体などを経済的に支援し後ろ盾となる人のこと。なので、この場合は愛人とかパパとか言う方が適切かもです。
ただ1994年にスナック経営をやめてからは違う生き方を模索し、介護福祉士の資格取得を目指して勉強もしていたとの情報もあります。
1995年にスーパーナンペイ大和田店で働き始め、夜間の店長役も任されていましたが一度退職。しかし、役員からの要請で再び働くようになっていました。
稲垣さんと事件の関係
事件の真相は未だに解明されていませんが、金銭トラブルが絡んでいた可能性が指摘されています。特に愛人男性との手切れ金をめぐる話が複雑で、暴力団関係者に相談していたという話も。
金庫に銃痕がありながら売上金には手がつけられていなかったため、動機や背景は謎のままです。
周囲の証言と噂
稲垣さんと複数男性とのトラブルが絶えなかったとされる一方で、スーパーナンペイの店長(専務も兼任)が事件の犯人ではないかという疑いも浮上しました。
この店長は派手なクルマや時計などを見せびらかすような生活を送り、犯罪組織と関係を持っていたとの話もあります。稲垣さんは一度離職した後に頼まれて戻っており、愛人関係に近い関係だったという憶測もあるため、痴情のもつれ説も。
人柄について
稲垣さんはアクが強い女性として知られ、夜の世界での経験や派手な男性関係がありながらもスーパーという小さな店で働くことを選んだ転身もあり、謎が多くてよくわからない人物。ただ、多くの複雑な人間関係を抱えた女性だったことは間違いないっぽい。
稲垣則子さんが経営していたスナックの今|わかお、その後
スナックわかおの、その後は
開店当初は常連も多く地元では評判だったようですが、その後バブル崩壊の余波もあり次第に経営が厳しくなります。そして1994年には惜しまれながら閉店。
当時を知る常連客や近隣の店舗オーナーも「店自体はナンペイ事件のずっと前に終わっていた」と証言しています。
跡地は別のテナントになり、わかおという店名を名乗る飲食店は現存していません。現地を歩いても当時の面影はほとんどなく、八王子の夜もすっかり新世代にリニューアルされています。
ただし、事件直後は「夜の街のお店=物騒」というイメージが広まり、周囲でも閉店や業態転換が続いたというエピソードも。そういえば、八王子ホスト殺害事件の店もこのへんでしょうか。