
世界を混乱に導くトランプがノーベル平和賞を欲しがっているというのは本当でしょうか。誰かツッコミの人に頭をパーンと叩いてほしい。
その昔、イランの首都テヘランにはアメリカ人観光客が普通に訪れてたし、友好的だった時代もあったそうで。まあ、かつて愛し合った夫婦が険悪になるのも珍しいことではないですからね。両国がどんな筋をたどったのか、傍観者として覗いてみましょう。
両国と言えば、改修中だった江戸東京博物館がいよいよリニューアルオープンしますね。
イランとアメリカの関係:1953年クーデターから1979年革命まで
クーデターのきっかけ
冷戦のさなか、ソ連を南側からけん制する地政学的な位置にあり豊富な石油資源を持っていたイランは、アメリカにとって重要な友好国でした。
そんな当時、イギリスの会社「アングロ・イラニアン石油会社(Anglo-Iranian Oil Company)」はイランの石油をほとんど独占していて、イラン国民はこれに怒っていました。
そして1951年、イランの首相だったモハマド・モサデク(Mohammad Mossadegh)は、イランの石油を外国の会社から取り戻すために石油産業を国有化します。
当然イギリスはこの国有化に強く反対、アメリカにも助けを求めました。アメリカCIAは、イランの石油が共産主義側に行かないようイギリスと協力してクーデターを支援します。実際にはイランとソ連はあんまり友好的じゃなかったらしいですが。
クーデターの実行とモサデクの失脚
このクーデター作戦で、軍隊はモサデク首相の家を包囲し彼を逮捕。一時国外に逃げていた国王モハンマド・レザー・パフラヴィー(Mohammad Reza Pahlavi)は、アメリカの支援で帰国し実権を握りました。
CIAはイランの軍人や宗教指導者などを買収し、モサデク政権を崩壊させます。このクーデターで、民主的に選ばれた政府が倒され、国王中心の独裁体制が強まりました。
この出来事で、イラン国民はアメリカへの嫌悪感が増加。自由や民主主義を掲げて、アメリカが他国の政府を無理やり変えてしまったのです。後年オバマ大統領は、このクーデターへのアメリカの関与を認めました。ちなみに当時の大統領は軍人のアイゼンハワー。
パフラヴィー国王の白色革命
クーデター後、パフラヴィー国王はアメリカの強い味方になり、1963年に白色革命(White Revolution)という改革を開始。土地を農民に分けたり、女性に投票権を与えたり、学校を増やしたりしてアメリカ流の近代化を目指しました。
石油で得た利益でイランを急速に工業化し、軍隊も強化します。
アメリカはイランに武器を大量に売り、石油会社も儲けまくります。イランの石油輸出は増えましたが、富は国王とその周りの人たちに集中、貧しい人々は苦しみました。
国王は秘密警察「サヴァク(SAVAK)」を作り、反対する人を捕まえたり、拷問したり。この警察もCIAが訓練を手伝いました。
当然高まる反米感情
1960年代から1970年代にかけイラン国民の不満は、どんどんデカくなります。石油価格が高騰しイランは世界一の石油輸出国になった一方で、インフレで物価が上がり、農村から街へ人が流れ失業者が増加するなど普通の人々は貧しいまま。
国王の贅沢な生活や西洋風の文化がイスラム教の伝統を壊すように見え、宗教指導者たちが声を上げ始めます。
特に亡命中の宗教指導者ルーホッラー・ホメイニー(Ruhollah Khomeini)は、カセットテープで国王を批判。クーデター以来のアメリカの干渉がイランの独立を奪ったと訴え、アメリカを大悪魔と呼びました。
そんな中、1978年に街でデモが起き、軍隊が発砲して数百人が死亡。
1979年イスラム革命の勃発
1979年1月、パフラヴィー国王は国民の反発にびびってエジプトへ亡命。2月には革命軍がテヘランを占領し、2500年続いた王政が終わりました。そして4月、ホメイニ師が帰国しイスラム共和国を宣言。
この革命で数千人が亡くなりましたが、国民はアメリカの影響から解放されたと歓喜しました。
さらに革命直後の1979年11月4日、アメリカが国王を受け入れたことへの報復としてイランの学生たちがアメリカ大使館を占拠、52人を444日ものあいだ人質に。この事件はアメリカとイランの関係を決定的に悪化させ、両国は今も国交を断っているというわけです。
その後のイランとアメリカ:核問題、制裁、代理戦争という長い対立の構図
イラン・イラク戦争での対立
1980年、イラクがイランを攻撃し両国間で8年も戦争が続きました。アメリカはイラクのサダム・フセイン大統領を支援、イランに武器の輸出を禁じます。1988年にはアメリカ海軍がイラン旅客機をミサイルで撃ち落とし、290人が亡くなりました。
イランはますますアメリカにブチギレることに。
核開発疑惑の始まり
2002年、イランが秘密の核施設を持っていることが判明。「世界で一番核を保有している国」アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領はイランを悪の枢軸と呼び、平和的な原子力のためと言い張るイランに対し国連で制裁を決めました。
厳しい経済制裁の強化
アメリカはイランに石油の輸出を制限し、銀行取引を停止。2012年には欧州連合(EU)も参加し、イランのお金が使えなくなりました。これでイランの経済は大打撃を受け、物価は上昇。核開発を止めるためという制裁は、さらに対立を大きくしました。
オバマ政権の核合意
2015年、バラク・オバマ大統領の時代。イランとアメリカ、欧州、ロシア、中国などが集まり、イラン核合意(JCPOA)を結びました。イランはウラン濃縮を減らし、国際原子力機関(IAEA)の検査を受けるなど制裁が少し緩和されました。
両国の仲はちょっと修正。
トランプ大統領の合意離脱
ところが2018年、トランプ大統領がこれをひっくり返し、アメリカは核合意から離脱しました。強い制裁を再開し、2020年にはドローンでイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害。イランは報復でミサイルを撃ち、核活動を再開します。
またまた緊張が高まりました。
代理戦争の広がり
イランはアメリカを直接攻撃せず、レバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派、シリアのアサド政権を支援するなど代理勢力を使います。アメリカはこれをテロ支援と見て、サウジアラビアやイスラエルを味方につけました。
結果、イラクやシリアで両国が支援するグループが戦い、中東全体が不安定になったのでした。
私たちはこの関係をどう理解するか
歴史の傷と安全保障
ニュースで流れる「攻撃」「報復」といった言葉だけを切り抜くと、ただのケンカのように見えますが、背後には長年積み重なった歴史認識と、安全保障上の計算が複雑に絡み合っています。
我々も「また中東で争いか」ではなく、アメリカ側の国である日本国民の生活に欠かせない石油製品は、この地域の人たちの血塗られた歴史の上に成り立っているということを意識すべき。


