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1982年の羽田沖JAL機逆噴射墜落事故|24人の命を奪った機長の精神疾患

1982年のJAL機逆噴射墜落事故|24人の命を奪った機長の精神疾患

東京湾って、神奈川県の三浦半島と千葉県の房総半島に囲まれて湖っぽくなってるんですよね。ここではカワハギ、ヒラメ、マゴチ、マダイ、ブリ、アカムツなんかが採れるんですが、こんなところに飛行機落ちたら魚にも被害ありそう。あまり語られませんが。

1982年2月、日本航空350便が東京湾に墜落して24人の命が失われました。この事故は機長の精神疾患が原因とされていますが、当時は世間的にメンタルの病についての理解が薄そうですけど、どうなんでしょう。

ボイスレコーダーに録音されていた副操縦士の「キャプテン、やめてください」ってセリフ、怖すぎて涙が出ます。

この1982年の2月には、7日に西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件、翌8日に赤坂ホテルニュージャパンの大火災、そして9日にこの羽田沖飛行機事故と、事件・事故が連続で起こっています。

日本は治安がいいなんて言っていますが、こういった事故や災害なんかも含めた安全度は、決して高くないんですよ。

JAL350便墜落事故の概要

事故当日の状況

1982年2月9日、JAL350便は福岡空港を7時34分に離陸、東京国際空港(羽田空港)に向かいました。

約1時間後の8時44分、高度164フィート、速度130ノットで飛行中、なぜか機長が突然自動操縦を解除し、操縦桿を前に押してスロットルを絞ります。さらに機長は第2・3エンジンを逆噴射位置に操作し、副操縦士の制止を振り切って機首を下げ続けました。

普通、逆噴射てのは着陸時の減速目的で行うものらしいんですが、この機長は飛行中にこれをやってしまったわけです。

その結果、350便は羽田空港の滑走路33Rから510m手前の東京湾に墜落。この事故により乗客24名が死亡し、149名が負傷しました。機体は大破、胴体が機首に乗り上げる形で停止しました。

事故原因の究明

事故の原因は、機長が精神変調により異常な操作を行ったことです。先述の通り、機長が飛行中にいきなり操縦桿を押し込み、全エンジンのパワーレバーをアイドル位置まで引き戻し、さらに第2および第3エンジンの逆噴射装置を作動。

この一連の行動により、航空機は制御不能に陥り、東京国際空港の滑走路手前の海面に墜落しました。事故調査報告書では、機長の行動が精神分裂病(現在の統合失調症)によるものと結論付けられ、機長としての乗務を行える状態ではなかったと指摘されています。

JAL123便事故との違い

事故の規模と原因の相違点

JALの事故というと、よく知られている御巣鷹山に落ちた123便の事故と混同しがちですが、350便の事故は全く別。123便の事故は、3年後の1985年8月に起きた戦後最悪の航空機事故で、520人の犠牲者を出しました。

123便の事故は、過去の機体尾部の修理が不適切だったことで起きた構造的な問題でした。対して350便は、健康管理システムの不備という勤務体制が原因。いずれにしても、ともに航空安全へ大きな警鐘を鳴らすこととなりました。

事故後の対応と影響

事故直後は、機長の行動が厳しい批判を浴びました。その後、機長が統合失調症であることが判明すると日本航空の安全管理体制が問題視されます。

この事故を教訓として、1984年6月に航空機乗務員の健康管理を向上させるため、航空医学研究センターが設立されました。

また羽田空港近くには、犠牲者を追悼する事故の慰霊碑が建立されました。現在でも日本航空の350便は欠番となっており、事故の記憶が継承されています。

当時は「逆噴射」「心身症」といった言葉が流行語になるほど、この事故は社会に大きな衝撃を与えました。

1980年代初頭の日本社会と事故

相次ぐ大規模事故と社会の反応

1980年代初頭の日本は、高度経済成長期を経てバブル経済へと向かう途中。その一方で大規模な事故が相次ぎ、社会は大きな衝撃を受けました。

特に350便の事故の前日に起きたホテルニュージャパン火災では33人の命が失われ、建物の構造的問題と経営者横井英樹社長のずさんな安全管理体制が主に問題視されました。

JALの事故と合わせ、日本社会の安全意識に大きな影響を与えています。

ちなみにホテルニュージャパンは1996年に解体が始まるまで、建物は火事の後そのまま放置されていました。14年もあの赤坂の一等地に廃墟が建っているという異様な風景だった記憶があります。現在、プルデンシャルタワーが建っているとこです。

さらに、ここは二・二六事件の反乱部隊が宿所としていた赤坂の日本料亭「幸楽」があったとこでもあり、力道山が刺された「ニューラテンクォーター」があったとこでもあり、昭和の歴史が詰まりまくった特異な地なのでした。

安全神話の崩壊と再構築

これらの事故は、日本の「安全神話」を大きく揺るがしました。それまで「日本は安全」という意識が強かった社会に、大きな疑問符を投げかけたのです。航空業界だけでなく、ホテルや公共施設など、あらゆる分野で安全対策の見直しが進められました。

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