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朝ドラ「ブギウギ」のモデルとなった笠置シヅ子の人生

2023年9月4日

笠置シヅ子

 

2023年度後期、NHK大阪放送局の朝ドラ「ブギウギ」の、趣里さんが演じる主人公「鈴子」のモデル、笠置シヅ子さん。かさおきではなく、かさぎと読みます。あと鈴子ってシヅ子が訛ったみたいな名前。

戦前から戦後にかけて活躍した歌手・女優で「ブギの女王」と呼ばれました。「2時間ドラマの女王」とか「学園祭の女王」みたいな女王シリーズのはしりと言えるかもしれません。

ブギというのは1920年代後半に流行ったアメリカのブラックダンスミュージックで、後に発展してR&Bやロックンロールに影響を及ぼしていきます。

 

ちなみに、ちびまる子ちゃん内のエピソードで図工の時間に歌を題材とした絵を描く課題があり、その時 “はまじ” が描いたテーマが買い物ブギ でした。

 

笠置シヅ子の生い立ちからデビューまで

出生は1914年(大正3年)香川県大川郡相生村、現在の東かがわ市。本名は亀井静子と言います。静香さんと、かすってます。惜しいですね。ちなみに東かがわ市役所では、朝ドラに合わせて保留音が「東京ブギウギ」になるとのこと。だからといって保留音聞くためだけに電話をしてはいけません。

生まれは香川県ですが、生後まもなく大阪に移ったため大阪育ち。生家は製糖業、育った先の家業は銭湯で、看板娘として歌や踊りを披露していました。銭湯の看板娘で歌や踊りって何?どういうこと?と思いますが、脱衣場で客相手に披露していたのだとか。今スーパー銭湯とかでそんな子がいても微妙な空気になりそうですが、娯楽が少なかった当時は希少で貴重だったのかもしれません。

 

その後、小学校を卒業して宝塚を受験しますが、小さすぎ細すぎだと体力面を心配され不合格。そのため松竹楽劇部生徒養成所に入りました。このとき宝塚に入っていたら、おそらく後のブギの女王は誕生してなかったでしょう。

初舞台では三笠静子の芸名を使いましたが、数年後に昭和天皇のご令弟が「三笠宮」という宮号を与えられたため、笠置の名に変更しました。そして、当時宝塚と人気を二分したという松竹楽劇団の専属メンバーとして上京。そこで服部良一さんと出会います。

 

すでに『蘇州夜曲』や『別れのブルース』で一時代を築いていた服部さんとのタッグで「ラッパと娘」などをリリースし、後年のジェームス・ブラウンばりに踊りながら歌うジャズシンガーとして人気を博していきました。

 

戦中の苦難と一世一代の恋

時は日中戦争が始まり、国が沈み出す頃。さらにアメリカなど他国とも確執が表面化していくにつれて、ジャズという敵性音楽を歌う彼女の存在は特高警察から目をつけられ、劇場出演も禁止となった。松竹楽劇団も解散し、笠置さんは自分の楽団を率いて慰問活動を行います。

プライベートでは養母や弟が相次いで亡くなったり、吉本興業の創業者である吉本せいの息子、吉本穎右(よしもとえいすけ)と交際を始めるも、せいの反対で結婚できないなど苦難の時期を送るのでした。

 

ブギの女王としての再起と栄光

終戦後は有楽町にあった日本劇場、略して日劇に出演。2018年までTOHOシネマズがあったとこです。そして1947(昭和22年)服部さん作曲の「東京ブギウギ」が大ヒット。

これが当たったもんで、その後も服部さんとのコンビで「大阪ブギウギ」「買物ブギ」など、ブギシリーズを続けてリリースし。いずれもヒットさせました。

 

それまでマイクの前で棒立ちだった歌い手の世界に、派手に踊りながら歌うアクションと大阪弁のMCは時代を先取りしまくっており、当時かなりの衝撃だったと思われます。そんなわけで、ひばりさんがブレイクするまで日本のショービジネス界にスーパースターとして君臨したのでした。

なお同棲までしていた前述の彼氏、吉本穎右(よしもとえいすけ)は1947年、25歳で結核で逝去。そのため、シヅ子さんは未婚のまま娘のヱイ子を出産しました。

 

おわりに

このように、笠置シヅ子さんは芸能の世界でよくみられる波乱万丈な人生を生き抜き、1985年(昭和60年)に卵巣癌でこの世を去りました。彼女の曲はその後、多くの人にカバー・継承されています。

2023年後期の朝ドラ「ブギウギ」では、笠置さんをモデルにした主人公、笠井しづ子(趣里さん)が活躍する姿を見られます。ただし朝ドラは当たり外れがあるので、期待せず静かに鑑賞したいと思います。

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