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カシミール問題の原因とは?インド・パキスタン軍事衝突の背景

カシミール問題の原因とは?インド・パキスタン軍事衝突の背景

カシミールと言ったら、10人中9人はLed ZeppelinのKashmirを想像するかと思います。でも、あの曲って北インドのカシミールとは全く関係がなく、ただの旅のイメージとして付けられたタイトルに過ぎないのでした。

2025年5月に報じられた、インドとパキスタンの軍事作戦。世界各地で、老人が中心となり殺し合いが蔓延しています。70年以上続く領土問題の核心を、歴史的背景からひも解いていきましょう。

カシミール問題の起源は、引き裂かれた地図

インド分割とカシミールの位置づけ

1858年から約90年もの長い間イギリスの植民地だったインドは、第二次大戦後の1947年、ついに独立を果たしました。ただそのまま一つの国ではなく、ヒンドゥー教徒が多いインドとイスラム教徒が多いパキスタンの、二つの国に分かれて独立します。

このときインド国内には植民地時代からの「藩王国」と呼ばれる小さな王国が565もあり、独立の際それぞれの藩王が自分の国をインドかパキスタン、どちらに属するかを決めることになりました。

カシミール藩王国の複雑な事情

そん中で、カシミール地方は「ジャンムー・カシミール藩王国」と呼ばれていました。ここの住民の多くはイスラム教徒でしたが、藩王のハリ・シングはヒンドゥー教徒。そのため、住民と藩王の宗教が異なるという複雑な事情がありました。

つっても住民の多数がイスラム教徒なので、カシミールはパキスタンに属するだろうと多くの人は考えます。しかし藩王ハリ・シングは、どちらの国にもすぐには属さず、独立を希望していました。

武力衝突とインドへの編入

そんな中、業を煮やしたイスラム教徒の部族がパキスタンからカシミールに侵攻。藩王はこの侵攻を防ぐことができず、インドに助けを求めます。その見返りとして、カシミールをインドに編入することを決定しました。

これにより、インド軍がカシミールに進駐。インドとパキスタンの間でカシミール地方の領有権をめぐる争いが始まりました。これが、いわゆるカシミール問題の起源です。

その後の対立と現在

そんなアレなんでインドとパキスタンはマジで仲が悪く、カシミール地方をめぐって何度も戦争を繰り返してきました。現在も両国はカシミールの領有を主張し続け、さらには中国も絡み合って、相変わらず緊張が続いているわけです。

まぁ素直に地図見ると、この地域はインドの中にあるように見えるんですけどね。そう簡単には譲れない訳もありまして。

山岳地帯の戦略的価値と水資源争奪戦

カシミール地方の山岳地帯が持つ戦略的価値

カシミール地方は、広く見るとインド、パキスタン、中国の三国にまたがる山岳地帯。ここはヒマラヤ山脈の西端にあり、標高が高く険しい地形で、氷河や万年雪を多く抱えています。

なので、街はインド亜大陸と中央アジアを結ぶ唯一の陸路として古くから交通と軍事の要衝となってきました。

ここを支配することで、インドやパキスタンはアラビア海と中央アジアを結ぶルートを確保でき、資源豊富な地域への影響力を高め商業や軍事の面で大きな利益を得ることができます。

水資源争奪戦

カシミール地方のもう一つの大きな特徴は、水資源の豊富さです。この地域の氷河や雪渓は、インダス川など大河の源流。

インダス川は、カシミール地方を経てパキスタン国内を南下、アラビア海へと流れます。パキスタンの農業や産業、飲料水の大部分はこのインダス川水系に依存しており、まさに国の生命線。

インドとパキスタンは、1960年に世界銀行の仲介でインダス水利協定(IWT)を結び、インダス川の水を共同管理することに合意。この協定によって、インダス川水系の80%はパキスタン、残り20%はインドが利用することになりました。

しかし近年、両国はそれぞれ水力発電所の建設を進めていて、インドが上流でダムを建設したり水をせき止めたりすると下流のパキスタンで深刻な水不足が発生するため、両国の緊張が高まっています。

また気候変動の影響で冬季の積雪が減少し、インダス川の流量が激減する年も増えています。このせいで農業用水の確保や発電量の維持が難しくなり、水資源をめぐる争いがさらに激化してるんですね。

3度の全面戦争と「核のボタン」の危険性

第一次インド=パキスタン戦争(1947年~1949年)

独立直後から、カシミール地方をめぐって両国は激しく武力衝突。最終的には国連の仲介によって停戦が成立し、カシミールは分割されました。しかし根本的な問題は解決していないため、両国の対立は続きます。

第二次インド=パキスタン戦争(1965年)

1965年には、再びカシミール地方の領有権をめぐり戦争が起こりました。インドがカシミールの完全統合を宣言したことにパキスタンが反発、両国は国境で大規模な戦闘を行います。

またアメリカやソ連などの仲介で停戦となりましたが、カシミール全域の領有権をめぐる対立は解消されませんでした。これ無理じゃね?

第三次インド=パキスタン戦争(1971年)

1971年には、東パキスタンで独立運動が起こり、パキスタン軍がこれを弾圧。インドは多くの難民を受け入れ、東パキスタンの独立を支援するため軍事介入しました。

この戦争ではインドが圧倒的に有利となり、パキスタンは敗北。東パキスタンは独立してバングラデシュとなります。

核保有国となったインドとパキスタン

1998年、インドが核実験を行い、すぐにパキスタンも対抗して核実験を実施。これで両国は正式な核保有国となり、南アジアにおける核戦争の危険性が一気に高まります。

双方の軍事力には大きな差があり、インドが圧倒的に優位です。しかし、この戦力差が逆にパキスタンを追い詰め、最後の手段として核兵器の使用を考えさせる可能性があると専門家は指摘しています。

核戦争のリスクと国際社会の懸念

両国の間でテロ事件や国境での衝突が起きるたびに核のボタンが押されるんじゃないかと、こちらとしては気が気じゃありません。

もし核兵器が使われれば、そりゃもう両国だけでなく世界中に大きな被害が及ぶため、国際社会も強い関心と警戒を続けています。やはり、はだしのゲンはきちんと未来に残すべきかも。

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