
日本の歴代首相が襲撃された事例、結構あります。嫌われ役を一手に引き受ける、なかなかハードな仕事です。
戦後に限れば、1960年に岸信介首相が右翼活動家に刺され重傷を負いました。安倍晋三氏の母方のおじいちゃんです。1975年には、三木武夫首相が右翼団体の構成員に顔をぶん殴られています。
1994年には細川護熙元首相の近くで右翼団体構成員が発砲する事件がありましたが、細川氏は無傷でした。最近の事例としては、2022年7月8日に安倍晋三元首相が奈良市で選挙応援演説中に銃殺されました。
戦前では、1921年に原敬首相が東京駅で刺殺され、1930年には浜口雄幸首相が東京駅で撃たれて負傷し翌年に死亡しています。また、1932年の5・15事件では、犬養毅首相が官邸で撃たれて死亡しました。
そして2023年4月15日、岸田前首相が襲撃されました。未遂には終わりましたが、この事件で木村隆二被告(事件当時24歳)は懲役10年の判決を受けました。この犯人が育った背景には、どんな環境があったのでしょうか。
★ もくじ
兵庫県川西市での幼少期
マンション暮らしから一戸建てへ
木村隆二被告は、兵庫県川西市のマンションで幼少期を過ごします。のどかな住宅街で、近所の子どもたちと遊ぶ姿もよく見かけられたそうです。その後2008年、木村被告が小学生の頃に家族で現在の実家である一戸建てに引っ越しています。
引っ越し先の家は、マンションから1キロほど離れた場所。周囲には緑が多く、自然豊かな環境でした。庭付きの一戸建てに住むようになり、家族で庭いじりを楽しんだりする様子も見られたそうです。こう聞くと、ここまではめっちゃ普通ですね。
ただ近所の人の話によると、引っ越してきた当初は庭の手入れも行き届いていましたが、次第に雑草が生い茂るようになっていったとか。家族の様子にも、何か変化があったのかもしれません。
学生時代の木村隆二
中学時代のエピソード
木村被告の中学時代は、地元の川西市立清和台中学校に通っていたと言われています。小学校時代の明るく活発な性格から大きく変化し、目立たず物静かになりました。
特に2年生以降は一人でぽつんといるような様子が見られるように。部活動にも積極的に参加せず、休み時間も教室に残ることが多くなり、図書室で本を読むことが増えたといいます。
周囲から「陰キャ」と呼ばれるようになり、周囲の生徒とは距離ができていったようです。また、自宅近くでは父親が木村を厳しく叱る姿が目撃されており、木村は下を向いたまま黙って聞いているだけの様子だったと報告されています。
この時期から、木村の内向的な性格と社会との断絶が徐々に形成されていったっぽい。
高校時代の様子
高校については、地元の県立高校に進学したという情報がありますが、具体的な学校名は明らかになっていません。高校時代の木村被告については、あまり多くの情報は公開されていないようです。
家族の証言によると、木村容疑者は高校卒業後、定職に就かず家に閉じこもる生活を続けていたようです。この生活パターンが高校時代から続いていたかどうかは明確ではありませんが、社会との関わりが少ない状態が長く続いていたことが示唆されます。
これだけの情報だと、父親との関係がマズかったのかなという材料しかないですね。
家族関係と家庭環境
複雑な父子関係
父親は元々赤帽の配送ドライバーとして働いていましたが、10年以上前に会社を辞めて独立。個人で配送業を営んでいたそうです。
近所の人の話によると、父親の怒鳴り声がよく聞こえていたとか。家族の仲があまりよくない印象だったようです。実際、木村被告が20歳前後の頃には、父親は家を出て別居状態になっていました。
父親との関係悪化が、木村被告の心にどんな影響を与えたのか。家庭内での不和や孤独感が、後の行動に何らかの形で表れたんじゃないでしょうか。
母親と兄弟との関係
一方で、母親との関係は比較的良好だったようです。母親は元百貨店の美容部員で、スラリとした美しい人だったと近所の人は証言しています。
木村被告は3人兄弟の末っ子で1歳年上の兄と4歳年上の姉がおり、特に兄とは仲が良く子どもの頃はいつも兄の後をついて回っていたそうです。兄は勉強ができる優秀な子だったとか。
となると、やはりキーは父親のよう。
政治への関心と事件への道のり
選挙への挑戦と挫折
木村被告の政治への関心は、割と最近になって高まっていたようです。事件の約1年前、参議院選挙に立候補しようとしていたという情報もあります。しかし、年齢制限や供託金の問題で断念せざるを得なかったそうです。
選挙制度への不満は強かったようで、憲法違反として国を訴えたこともあります。しかし、この訴訟も敗訴に終わりました。立て続けに経験した挫折が、木村被告の心情をさらに複雑にしたのかもしれません。
政治への不満と行動
木村被告は、安倍晋三元首相の国葬強行や統一教会との癒着などを例に挙げて、政権与党への不満を強く持っていたようです。SNSなどでも、政治に関する投稿を頻繁に行っていたという情報もあります。
岸田前首相の演説日程を調べていたことも発覚しており、計画的に行動を起こそうとしていた様子がうかがえます。政治への不満が高じて、最終的に事件という形で表出してしまったのでしょうか。
ラッパーとしてリリックで訴えれば、こんな事件を起こすこともなかったでしょうに。