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新大統領、李在明の生い立ち|貧困家庭から大統領へ

新大統領、李在明の生い立ち|貧困家庭から大統領へ

人を引き付ける類のストーリーでは「どん底からの大逆転」は定番であり、スポーツ界や財界など枚挙にいとまがないのですが、2025年に新しく韓国大統領に就任した李在明(イ・ジェミョン)氏の半生も多分に漏れず波乱だったようです。

そもそも「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長前の1960年代前半までは、国全体が貧しかったのですが。

貧困のどん底で育った少年時代

極貧の家庭環境

イ・ジェミョン大統領は1963年、韓国南東部の慶尚北道安東市郊外にある農村で、7人兄弟の5番目として生まれました。ギャンブル狂いの父親は家計を支えることができず、家族は母親の公衆トイレ清掃の仕事で生計を立てていました。

家族は市場で捨てられた果物を食べて飢えをしのぐほどの困窮状態で「常にお腹が空いていた」と語っています。そういえば矢沢さんも同じようなこと言ってました。

少年工としての過酷な労働

小学校を卒業した後も、経済的理由で中学校には進学することができませんでした。そのため12歳で家族と城南市に移住した後は、ネックレス工場や野球のグローブを作る工場などで働きます。

そして15歳の時、プレス機械で左腕を挟まれる大けがを負いました。このせいで現在も障害が残っていて、兵役も免除されたのだそう。

それでも昼間は工場で働き夜は猛勉強という生活を続け、18歳でソウルにある私立の中央大学校法科大学法学科に進学、さらに難関の司法試験にも合格することができました。

人権派弁護士から政治家へ

人権派弁護士としての活動

司法研修院を修了した後は判事や検事なんかになる道もありましたが、イ・ジェミョン氏はあえて人権派弁護士の道を選択。労働者や農民の権利を守るため、城南市に弁護士事務所を開設します。

また労働相談所長や市民活動家としても活動、不正を告発したり病院設立運動のリーダーを務めたりしました。

政治家への転身:市民運動から市長へ

その城南市立病院設立運動で、市議会に条例案を提出。しかし、わずか47秒で否決され、市民とともに抗議活動を行いました。そこで「こりゃ自分が政治家にならなければ社会は変えられないわ」と感じるようになります。

そんなことがきっかけとなり、自ら市長選に出馬する決意を固めました。そして2010年、城南市長選に初当選。2期務めました。ちなみに韓国の市長の任期は4年間で、最大3回まで再選可能。

知事・大統領選への挑戦

2018年には京畿道知事に当選し、地方自治体のリーダーとして実績を積みます。

2022年の大統領選では、後に非常戒厳を宣布して弾劾される尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領に敗れましたが、その後も党代表として基盤を固め、2025年の大統領選でついに勝利。韓国の最高権力者となりました。

暗殺未遂事件と反対派の声

暗殺未遂事件

イ・ジェミョン氏は、韓国最大野党「共に民主党」(日本語に訳すと変な名前)の代表として活動していた2024年1月2日、記者会見で演説を行っていた際、刃物を持った男に襲撃されました。

犯人はサインを求めるふりをして近づき、刃渡り18センチのナイフでイ氏の首を刺そうとしました。イ氏は首に1センチの裂傷を負い、ヘリコプターで病院に搬送されましたが、命には別状なし。襲撃犯はその場で逮捕され、殺人未遂罪で起訴されました。

反対派の声と批判

ざっと経歴を見ると、強いリーダーシップと正義感でクリーンなイメージがありますが、結構スキャンダルも多いのでした。

発言も過激で、一時期「韓国版トランプ」なんて呼ばれてたこともあるし、彼の政治活動には多くの刑事裁判が絡んでおり、都市開発事業に関連した背任罪や公職選挙法違反罪などで起訴されています。不倫や飲酒運転の過去までありますw

このような背景から、彼に対する反対派の声は根強く存在しています。が、全体的に国民の人気は高いです。

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