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フロリダ、11歳の少女カーリー事件。20年前の衝撃の真相とは?

フロリダ、11歳の少女カーリー事件。20年前の衝撃の真相とは?

11歳つったら、小学生じゃないですか。メイクとか男子とかに興味がでてきて、ぼんやりと将来なりたいものなんか思い描いたりし始めるころじゃないですか。それがYouTubeも知らずに生を終えるなんて、自分とはまったく関係のない子なのにブルーになります。

2004年、アメリカのフロリダ州で11歳の少女カーリー・ブルーシアさんが誘拐されました。この事件は、防犯カメラに映った誘拐の瞬間が全米に公開されたことで大きな注目を集めます。その後、発見されるまでの5日間、全米が固唾を呑んで捜索の行方を見守りました。

結局、悲しい結末を迎えることになりましたが、これをきっかけに新しい法律ができるなど、今でも語り継がれている事件です。

カーリー・ブルーシアさんはどんな子だった?

明るく元気な11歳の少女

カーリー・ジェーン・ブルシアさんは、フロリダ州サラソタ出身の活発で元気な11歳の少女でした。1992年3月16日に生まれた彼女は、6年生で母親と継父と一緒に暮らしていました。

家族や友人からも大切にされ、成績優秀で特に数学が得意。将来の夢は獣医さんになることだったそうです。

動物が大好きで、特に犬を可愛がっていたカーリーさん。休日には近所の動物保護施設でボランティアをしていたんだとか。そんな彼女が、なぜ悲惨な事件に巻き込まれてしまったのでしょうか。

事件当日の様子

2004年2月1日、11歳のカーリーさんはフロリダ州サラソタの友人宅から歩いて帰宅中に誘拐されました。その日はスーパーボウルの日曜日で、彼女は家族と一緒に試合観戦する予定でした。

ちなみにこの年のスーパーボウルはニューイングランド・ペイトリオッツ対カロライナ・パンサーズで、あのブレイディの全盛期です。

誘拐の瞬間が防犯カメラに

Herald-Tribune

衝撃の映像が公開される

午後6時20分頃、ビーリッジロードにあるエルヴィーズ・カーウォッシュ(洗車場)の監視カメラの映像に、後にジョセフ・スミスと判明するタトゥーの入った黒髪の男が、彼女と短い会話をしている様子が映っていました。

その後、スミスはカーリーさんの腕をつかんでカメラの視界から消えます。彼女は抵抗する様子もなく男性についていってしまいました。この誘拐は、白昼、現場から300フィート以内の場所に普通に人がいた状況での犯行でした。

両親は彼女が姿を消してからわずか30分後、当局に行方不明を届け出ます。彼女の義父であるスティーブ・カンスラーは当時もう一人の子ども(息子)を乗せて運転しており、彼女を迎えに行くのに「ほんの数分」遅れただけだったのです。

全米を巻き込んだ大捜索

この映像は翌日の2月2日にはメディアに公開され、アンバーアラートが発令されました。アンバーアラートというのは、未成年の児童誘拐や行方不明事件が発生した際に発令される緊急警報システムです。

アンバーアラートという名称は、1996年にテキサス州アーリントンで誘拐・殺害された9歳の少女、アンバー・ハガーマンにちなんでいます。アメリカ怖い。

結果、カーリーさんの事件はかつてないほど注目を集め、地元警察、FBI、多数のボランティアが捜索に参加し、誘拐犯逮捕につながる情報には2万5000ドルの報奨金がかけられます。

市民からの情報提供は相次ぎ、警察には数千件の情報が寄せられました。

悲しい結末と犯人の逮捕

カーリーさんの遺体が発見される

誘拐から4日後の2004年2月5日、犯人ジョセフ・スミスの兄弟ジョンがFBIに連絡し、法執行機関を現場に導いた後にカーリー・ブルシアさんの遺体が発見されました。遺体は、野原の森の中のコンクリートブロックの山から、約50ヤード離れた場所にありました。

発見されたとき彼女は仰向けに横たわっており、右足に靴下を履いている以外は腰から下は裸。右足は伸ばされ、左足は後ろに曲げられ、左臀部の下に丸まっていました。死因は絞殺です。

検死官のヴィンセント・ベガ博士は、カーリーさんは靴ひもか同様の絞め具を使って絞殺されたと結論付けました。また検死の結果、彼女は死亡前に性的暴行を受けていたことも明らかになります。

犯人、ジョセフ・スミスの逮捕

カーリーさんの遺体が発見される前日、警察は容疑者としてジョセフ・スミスを逮捕していました。元自動車整備士で当時は失業中、3児の父だったスミスは、洗車場からカーリーさんを連れ去る様子が監視カメラにバッチリ映っていたのです。

スミスは37歳で、麻薬関連で複数回逮捕されたことがあり、誘拐と不法監禁の容疑で捕まり不起訴になったこともありました。さらに、事件の13か月前には州刑務所から釈放されており、保護観察中でした。

こんな危ないヤツを外に出すシステムにも責任がありますよね、こんな結果になったんだから。

最終的に、彼は第一級殺人、誘拐、および死刑相当の性的暴行で有罪となり、2004年に死刑判決を受けます。その後フロリダ州レイフォードのユニオン矯正施設で死刑囚監房に収監されていましたが、刑執行前の2021年7月26日、肝臓がんにより55歳で死亡しました。

事件が社会に与えた影響

「カーリー法」の制定

「カーリー法」は、この悲劇を受けて米国議会に提出された法案です。

キャサリン・ハリス下院議員は他2名の下院議員の支持を得て、性犯罪者の仮釈放規則を強化し、子どもの自宅近くでの犯罪行為について親に通知するシステムを改善する法案を提案しました。

この法案は同様の悲劇を防ぐことを目的としていますが、カーリー・ブルシア事件には適用されません。てのも、加害者であるジョセフ・スミスはこのとき「非性的犯罪」で保護観察中だったからです。

結局、残念なことにこの法案は2004年の議会会期の終了前に可決されませんでした。ハリス下院議員はこの法案を再提出することを約束しましたが、その状況や実施に関する詳しい情報は公開されていません。つまりフェードアウトっぽいです。

全国的に注目を集めるような事件に対応する場合でも、新しい法律を制定するのって難しいんですね。かと言って夫婦別姓の議論を30年も続けている国はどうかとも思いますが。

防犯意識の高まり

この悲劇的な事件は、再び全米で犯罪防止意識の大幅な高まりを引き起こしました。子どもの保護対策を強化し、同様の悲劇の発生を防ぐためのいくつかの取り組みが開始されたのです。

学校や地域団体は、より厳格なセキュリティ対策を実施し、親は子の行動をより注意深く監視するため、GPS 追跡デバイスや強化された監視システムなどの新しいテクノロジーが開発され、採用されました。

さらに、この事件をきっかけに設立されたカーリー・ブルシア財団は、政策の変更を提唱し、同様の悲劇に見舞われた家族を支援し続けています。

また、いくつかの州では犯罪者に対するより厳しい量刑法を施行し、仮釈放者の監視を強化しました。

カーリー・ブルシアさんの遺産は、誘拐を防ぎ、弱い立場にある人々を守るための取り組みを推進し続け、米国全土の犯罪防止意識に永続的な影響を与えています。相変わらず学校で銃の乱射なんかは起き続けているので、まだ過渡期なんだとは思いますが。

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