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永守重信ってどんな人?──経歴、家族、そして伝説

永守重信ってどんな人?──経歴、家族、そして伝説

普通にこの国で大人をやっていれば、京セラの稲盛さんヨーカ堂の伊藤さんキーエンスの滝崎氏ファーストリテイリングの柳井氏なんかと並んで日本電産の永守氏の名前はイヤでも耳に入っていました。

ただ人となりに関してはほぼ存じ上げなかったわけですが、調べてみると、どっかで誰かから聞いた「儲かってる会社、だいたいブラック説」を体現するような昔気質で凶暴な感じをにじませていました。

永守重信氏の経歴

青年期から創業まで

永守重信氏は、日本を代表するモーターメーカー「ニデック(旧・日本電産)」を一代で築いた実業家。1944年8月28日に京都で生まれ、1967年に職業訓練大学校(現在の職業能力開発総合大学校)電気科を卒業しました。

卒業後は音響機器メーカーのティアックに入社し、モーターや精密機器に関わる仕事に従事します。ここで精密機械やモーター技術に触れたことが、その後の方向性を決定づけるきっかけとなりました。

その後、専用工作機械の「山科精器」に移り、若くして取締役に就任するなど早い段階から経営の一端を担う立場に。

現場経験とマネジメントの両方を身につけた結果「自分ならもっとスピード感をもって、世界で戦える会社を作れる」という思いが強くなり、28歳で独立を決断します。

日本電産(現・ニデック)創業と世界企業への成長

1973年7月、わずかな資本金とティアック株など限られた手持ち資産を元手に日本電産株式会社(現・ニデック)を創業。

初期メンは社長を含めて3人というスタートで、精密小型モーターの分野に絞りカセットデッキやビデオ機器、後にはハードディスクドライブ用モーターなど、高度な技術が求められる市場に参入します。

自ら先頭に立って最前線の現場を回り、数字と品質を徹底的に追い込むスタイルは「徹底した現場主義」と評されました。

またM&A(企業買収)を積極的に活用し、優れた技術を持ちながら業績不振に陥っていた企業を次々とグループに迎え入れ再建。買収王とも呼ばれます。

こうして日本電産(ニデック)は精密小型モーター分野で世界トップクラスのシェアを持つ企業へ成長。2006年には米国の経済誌『バロンズ(Barron’s)』から「世界のベストCEO30人」の一人に選ばれ、経営者として国際的にも高い評価を受けました。

また2014年には『日経ビジネス』が実施した「社長が選ぶベスト社長」ランキングで1位となり、日本国内でもトップ経営者として広く知られる存在になります。

その後

長年にわたり日本電産の代表取締役社長兼CEOとして会社を引っ張り、その後は会長兼CEOへと移行しながらグループ全体の戦略を握り続けます。

2024年には会長兼CEOを退任、代表取締役グローバルグループ代表となるなど徐々に第一線からは退きつつ、グループ全体を見守る立場に移行していきました。

そして2025年12月、不適切な会計処理が発覚すると取締役を辞任。その後は非常勤の名誉会長に就任しました。

永守重信氏の家族構成

生まれた家

京都の農家で、6人兄弟の末っ子。貧しかったため中卒で働かなくてはならない環境でしたが、成績が優秀だったため奨学金で工業高校へ進学できました。

妻と婿入り

妻の家に婿養子として入りました。基本的に表には登場しませんが、ごくまれに公式の場へ夫婦として参加している模様。

息子たち

2人の息子さんがいます。長男の貴樹さんは1971年生まれで、東海銀行に入行した後、2012年から掃除用品の有名会社レック(「激落ちくん」で知られる東証プライム上場企業)の社長を務めています。

また次男の知博さんは太陽光発電のエルステッドインターナショナルという会社を創業。2名とも父の会社には直接関わりませんでしたが、独立志向は受け継いだようです。

永守重信氏が残した伝説の数々

「太陽より熱い男」のハードワーク

労働時間は1日16時間で、オフは元旦の朝だけ。創業メンバーは高熱でも出社、骨折で松葉杖姿で現場へ。社員を震え上がらせるほど叱るそうで、たぶん心を病んだ人もいっぱいいるでしょう。

非現実的な目標設定

ニデックの第三者委員会調査報告書では、永守氏が「徹夜してでも利益を捻出せよ」とプレッシャーをかけていたと指摘されています。このプレッシャーが強すぎて、最終的に会計の数字を不正にいじってしまう事態を引き起こしました。

目標が達成できないと叱責が飛んでくるわけで、非現実的な数字の山に、社員は毎日追われ続けました。

過酷な労働環境

「情熱・熱意・執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という三大精神を掲げ、社員に休みなしの働き方を求めました。

朝は6時50分に出社しても遅いと怒鳴られ、夜は21時や22時まで残業するのが当たり前。「部下より早く来て、部下より遅く帰れ」というルールもあったとか。

京都本社のオフィスでは、永守氏の言葉がポスターになって貼られ、毎朝の朝礼で『挑戦への道』という本をみんなで読み合わせるなど。土曜日も出社しないと「ニデックマンじゃないのか」と叱られるとのこと。

激しい叱責と人事異動

「おまえたちは腐っている」「3T企業(「転勤なし、テレワーク、転職しやすい」)で汚染された」「辞めたいやつは辞めろ」と大声で怒鳴り、常務執行役員すら解雇された例も。

株価が下がれば人事で人を飛ばしたり罵声を浴びせたりと、社内を恐怖で支配していましたそうです。昭和の頃なら当たり前だったんでしょうかね。昭和怖い。

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