
「今あなたの後ろにいるの」という電話をかけてくるメリーさん。学校のトイレに出るとされる花子さん。紙に書いた文字の上をコインでなぞるコックリさん。問いかけに正しく答えられないと身体の一部を奪うというカシマさん。
日本の都市伝説には◯◯さんという名前が付いたものが、よく登場します。
ですが、2003年に名古屋市で起きた連続通り魔殺傷事件の犯人「ひらひらさん」こと伊田和世は実在の人物。派手な服装と奇行で、近所の注目を集めていました。
なぜ彼女は「ひらひらさん」と呼ばれるようになったのか。そして、どのような経緯で殺人に至ったのか。伊田の複雑な人生と、事件の背景に迫ってみます。
★ もくじ
名古屋市を震撼させた連続通り魔事件の全貌
春の名古屋を襲った悲劇
2003年3月30日、名古屋市北区で22歳の女性が刃物で刺される事件が発生しました。被害者は自力で帰宅したものの、4月1日に多臓器不全で死亡。さらに4月1日には、千種区で別の22歳女性が刺されて重傷を負う事件が起きたのです。
この連続事件の犯人として逮捕されたのが、伊田和世でした。彼女は当時38歳。女性による通り魔事件という珍しさから、世間の注目を集めることとなります。
伊田は逮捕後「幸せそうな若い女性を刺せば、イライラ解消になると思った」と動機を供述しています。最初の被害者を刺した際「意外に手応えがなく、血も出なかった」ことに不満を感じ、2日後に再び犯行に及んだとのこと。
伊田和世の生い立ち

複雑な家庭環境
伊田は1964年11月5日、名古屋市中区の生まれ。水道修理業を営む父親、美人で派手な母親、そして4歳年上の姉との4人家族で育ちました。家庭内の関係は、決して良好ではありませんでした。
特にヒステリックな性格の母親は、頻繁に伊田和世を怒鳴りつけていたと報告されています。この緊張関係は、伊田和世の成長に大きな影響を与えたと考えられています。
一方で父親は伊田和世をかわいがっていたようですが、母親との関係に嫌気がさしたのか、最終的に離婚して家を出ていきます。父親の不在後、母親は仕事に追われ、ほとんど家にいなくなりました。
不安定な学生時代
この家庭環境の変化は、伊田和世の学校生活にも影響を及ぼします。すでに小学生の頃から不登校気味になり、時折登校する際には奇異な目で見られるようなカッコで現れたりとか、狂い始めていました。クラスメイトや教師とのトラブルも多かったよう。
後年、伊田和世の父親は岐阜県で霊能者として成功、娘に毎月仕送りをするようになりました。しかし、父親の愛人に対する嫉妬から愛人の服を焼き払うという騒動を起こします。
そこで父親は、毎月の仕送りを30万円に増額する代わりに一切の関わりを絶つことを伊田和世に要求しました。この父親の決断が伊田和世に大きなショックを与え、さらなる精神の変調を起こすきっかけになったと考えられます。
ところで、お姉さんはどうしていたんだろう。
若い頃の伊田和世

華やかな水商売の世界へ
中学卒業後、伊田は高校に進学せず、美貌を活かしてホステスとして働き始めました。その美しさゆえ、他の店からの引き抜きも経験したとされています。ホステスの仕事だけでなく、コンパニオンやモデルなど、さまざまな職を転々としました。
しかし高価なブランド品への欲求から、彼女はより稼げる仕事を求めてソープランドで働くようになります。そんな中、彼女は20歳以上年上の既婚男性の愛人となり、ソープランドを退職することに。
この男からは月額17万円の手当を受け取っていたとされ、この関係は彼女が事件を起こすまで続いていたようです。愛人というイメージで見ると微妙な金額ですねえ。
「ひらひらさん」の誕生と犯行への道
フリフリの服装で街を徘徊
父親との関係が悪化し、伊田の精神状態はさらに深刻になっていきます。
バブル全盛期を思わせるような長い茶髪と真っ赤な口紅に、ひらひらのフリルがたくさんついた派手な服を着て自転車で徘徊するようになり、近所の人々から「ひらひらさん」と呼ばれるようになりました。
死体への興味
この頃から、伊田は死体や殺人、解剖に関する本を読むようになり、スプラッター映画にも興味を示すようになります。次第に「人を刺し殺してみたい」という欲望が芽生え、事件前日には人形で殺人の練習をしていたそうです。
事件後の裁判と判決
無期懲役刑の確定
2003年8月28日。伊田は窃盗事件で現行犯逮捕され、その後の捜査で連続通り魔事件の犯人であることが判明しました。2006年2月24日には名古屋地裁で伊田に無期懲役の判決が下されます。弁護側も検察側も控訴せず、刑が確定しました。
他の未解決事件
そういえば、名古屋では有名な未解決事件があります。伊田の件も窃盗で捕まらなければ未解決になっていたかもしれない。
西区主婦殺害事件
1999年11月13日、名古屋市西区稲生町のアパートで高羽奈美子さん(当時32歳)が殺害された事件。被害者の夫、悟さんは現場のアパートを25年間借り続け、犯人逮捕の手がかりを残しています。
妊婦切り裂き殺人事件
1988年3月18日、名古屋市中川区で臨月の主婦が殺害されました。遺体の腹部が切り裂かれて、電話の受話器やキーホルダーが詰め込まれるという猟奇的な事件です。胎児は奇跡的に助かり、その後も無事に成長しました。