
「泰」はヒロシと読むそうです。なかなか変換できません。
読めない名前はすべてキラキラと思っていましたが、そうでもないのですね。ヒロシなんて名前、まるちゃんのお父さんから札幌市地下街のデジタルサイネージまで幅広く利用されていますから。
2002年に名古屋で現金輸送車を襲撃した、当時72歳の中村泰。1930年生まれ、クリント・イーストウッドと同じ年です。
逮捕後、1995年の警察庁長官狙撃事件について犯人しか知り得ない情報を暴露したことで彼の犯行が濃厚とされていましたが、結局時効に。そんで中村は2024年10月、94歳で亡くなりました。
なお「ヒロシです」で一斉を風靡した芸人のヒロシさんの本名は齊藤健一さん。まったく齊藤っぽさが無いですけど。
中村泰の生い立ち、経歴など
幼少期から東大進学まで
中村泰は1930年に東京都で生まれました。父親は南満州鉄道、略して満鉄の職員。そのため一家は中国・大連に移り住むことになります。つまり中村は、戦争の影響を強く受けた世代。
そして1940年ごろ一家は日本に帰国。彼は勉強が好きって感じではなかったそうですが、成績はめちゃくちゃ良く、まわりから「神童」やら「天才」やら呼ばれるほどでした。
高校卒業後は、当時のエリートコース東京大学教育学部に進学。その才能については「ノーベル賞が狙えるほど」との評価も。後からなら何とでも…と言えなくもないですが、まあ真っ当に実績を重ねれば研究者として全く別の人生を歩んでいたことでしょう。
学生運動・革命思想との出会いと犯罪歴
しかし大学に入学後は、戦後の政治的混乱のなかで学生運動にのめり込んでいきます。ベトナム戦争ごろに暴れ回った団塊世代が生まれたころですが、この時からすでに学生の極左思想が勢いづいていたんですね。
結果、中村は勉強より暴力革命の実現こそが自分の使命だと考えるようになり、在学からわずか2年ほどでせっかくの東京大学を中退してしまいした。
その後は革命資金を得るため、違法行為に手を染めるように。26歳のときには銀行強盗を計画し、その準備中に警察官から職務質問を受けた際、相手のこめかみを撃ち抜いて殺害。この事件で中村は無期懲役となり、千葉刑務所で19年間服役することになります。
服役中も中村は革命家チェ・ゲバラの思想に強く影響を受け、というか憧れ、武装闘争のスタイルや革命のためには武器が必要だという考え方に共鳴します。そして自分も武装集団を組織して革命を起こしたいと考えるようになります。
後述のとおり、アウトローな自分に酔ってたようです。
出所後の活動と、老スナイパーとしての後半生
45歳で千葉刑務所を出所。社会に戻ると、先物取引などを利用して短期間で莫大な資金を手にし、およそ1億円規模とされる活動資金を作り上げました。
ここでやめときゃ平和な人生だったのに、この金をもとにして第一次ニカラグア内戦へ参加するため現地へ。ところが到着したころにはすでに休戦状態で、実戦に参加することはできませんでした。
50代になると、今度はアメリカに渡って本格的な射撃や軍事訓練を受けるように。
時は1980年代。かなり世界の様相は変わっていたと思うんですけど、日本社会の政治体制を暴力によって変えようという発想は相変わらず。加えて長距離からの精密な狙撃技術を身につけたことで、老スナイパーとして語られるようになります。
ただ実は、この中村。1995年の警察庁長官・國松孝次氏狙撃事件について法廷で有罪判決を受けたわけではありません。
2002年に名古屋市西区のUFJ銀行押切支店駐車場で現金輸送車を襲撃し、警備員に重傷を負わせ約5000万円を奪おうとして現行犯逮捕。そこから狙撃事件について語り始めたのでした。
國松孝次警察庁長官狙撃事件の、本当の犯人は?
結論から言うと、公式な扱いでは本当の犯人は特定されていない未解決事件になっています。
事件の概要と、オウム犯行説
1995年3月30日朝、当時の警察庁長官だった國松孝次(くにまつたかじ)氏が自宅マンション前で男に銃で4発撃たれます。重傷を負いましたが、一命は取り留めました。
この日は地下鉄サリン事件から約10日後で、日本中がオウム真理教に注目していた時期。警察は最初からオウムによるテロと見ていました。
その後の捜査の中で、オウム信者で現役の警視庁警察官だった人物が浮上。自分がやったと供述します。
しかし、この元巡査長の供述内容は、現場の状況や使用した銃、逃走経路など重要な点で矛盾やデタラメが多く、裏づけ捜査を進めた結果「狙撃犯の可能性は薄い」と判断され、不起訴に。
真犯人を名乗った男、中村泰
そして事件から7年以上経った2002年11月、別件の現金輸送車襲撃事件で逮捕された中村泰(なかむら ひろし)が、新たなキーマンとして浮上しました。
老スナイパーと呼ばれるほど射撃の腕に長けたこのじいさんは、都内に15丁もの銃と約1000発の銃弾を隠し持っていたとのこと。「老スナイパー」なんて、犯罪にダサいネーミングを付けた人はもっと評価されるべきかもしれない。
それはさておき、取り調べの過程で中村は輸送車襲撃と全く関係のない警察庁長官狙撃事件について語り始め「自分が國松長官を撃った」と自供。
その内容には現場の詳しい状況や真犯人しか知らないとされるような細部が含まれていたため、事件に関与した可能性が高いとされるようになりました。さらに中村の生活拠点からも、複数の物証が見つかったそうです。
海外の報道やドキュメンタリーでも「Nakamura Hiroshiという高齢の元左翼活動家でガンマニアの男が "I shot the Commissioner General." と告白した」として紹介されました。"But I didn't shoot no deputy." とまでは言いませんでした。
ただし、長官の自宅をどうやって知ったのかなどで説明があいまいな点もあり、捜査側は「何らかの形で事件に関与した可能性はあるが、単独実行犯とまでは断定しがたい」との見立て。
そんなこんなで結局、狙撃事件の容疑で彼が逮捕・起訴されることはありませんでした。
ウワサでは「警察が中村を犯人と認めればオウム犯行説に固執してきたというミスがバレるから、逮捕を避けたのではないか」といった疑惑も語られていますが、真実はわかりません。
三つの犯人像
以上のように「オウム真理教」「オウム信者だった警察官」「教団とは無関係な中村泰」という、少なくとも三つの犯人像が登場してきました。
しかし公式記録上は、この事件の犯人は不明のまま。殺人未遂事件としての公訴時効もすでに成立しており、新たに誰かが逮捕・起訴されることは法律上できません。つまり、この事件は未解決事件として終了しました。
中村泰の思想の源泉
自分が長官を撃った
彼は法廷や公式な場ではなく「叙事詩」という形で自分を語りました。叙事詩ってのは、神話や英雄を壮大な物語として描いた長編の韻文詩のこと。
この中には犯人しか知り得ないような情報がほぼ含まれておらず、具体的な状況描写よりも自分を英雄として飾り立てる表現が目立っていました。
要するに「事件に関わるオレ」というイメージにこだわって作品を作った感じでしょうか。つまり彼の犯罪は、社会や国家に対する思想ではなく「この大事件を起こした偉大な自分」に酔いたいという欲求から出てくる衝動にあったと考えられます。
革命戦士として自己を神話化
実際に彼への取材をもとに書かれたノンフィクションや評論では「思想犯に本来伴うべき理論武装がほとんど見当たらない」「反社会的なイデオロギーの筋道が読み取れない」といった評価が大半。
世界を変える思想なんかなく「自分はすごいことをした、と信じ続けたい気持ち」が真実だったようです。
中村泰の最期
医療刑務所で迎えた静かな終わり
中村泰は2024年5月22日、東京・昭島市の東日本成人矯正医療センターで誤嚥性肺炎により逝去。94歳でした。彼の死で、事件の真相は永遠の謎となりました。



