
「米がないならパンを食べればいいじゃない」というセリフは、実際にはマリー・アントワネットの言葉ではありません。この言葉の発祥は、フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーの自伝『告白』だと言われています。
ルソーの『告白』には、「ある大変に身分の高い女性」が「百姓どもには食べるパンがございません」と言われたとき「ではブリオッシュを食べるがいい」と答えたというエピソードが記されています。
この『告白』が書かれたのは1765年で、当時マリー・アントワネットはまだ9歳。オーストリアからフランスに来る前です。そのため、この「ある王女」はマリー・アントワネットではありません。
このセリフがマリー・アントワネットと結びつけられたのは後年のことで、アンチ王政の歴史家の演説によるものだという説や、フランス王政の諸悪の根源イメージを彼女に背負わせるのが「都合がいい」と考えた人々の意図によるものだという説があります。
つまり、この有名な言葉の正確な起源は明らかではありませんが、マリー・アントワネットの言葉ではなく、ルソーの著作がその元になったと考えられています。
2024年からの米不足や価格高騰が「令和の米騒動」だと話題になっています。これまでも大正、平成と米騒動がありましたが、それぞれどんな特徴があるのでしょうか。特に大正なんて、時代的に代わりになる炭水化物が少なさそうだから今より騒いでそう。
★ もくじ
大正の米騒動:庶民の怒りが爆発した大規模暴動
物価高騰と買い占めが引き金に
大正7年(1918年)に起きた米騒動は、日本史上最大規模の民衆暴動でした。第一次世界大戦後の好景気で物価が高騰し、米の買い占めが横行したことが原因。今回の令和版とちょっと似てる?
当時の一般的なサラリーマンの月給が20円前後だったのに対し、米1石(約150kg)の価格が30円を超える事態に。庶民の家計を直撃したわけです。10kgだとすると一袋2円。月給の1/10。現代に換算すれば、月給30万だとして10kgが3万円。こりゃ大変。
全国各地に広がった暴動の波
富山県の漁村で始まった抗議活動は、瞬く間に全国に広がりました。デモ隊は米屋や富裕層の邸宅を襲撃。中には警察署を占拠するような過激な行動も。政府は軍隊を出動させて鎮圧を図りましたが、結局、約1か月にわたって騒動は続きました。
参加者は延べ100万人以上とも言われています。
政治体制を揺るがした民衆の力
この騒動は単なる食糧難への抗議にとどまらず、当時の寺内正毅内閣が総辞職に追い込まれるまでに。今でたとえると、石破さんが辞めさせられるということですね。
平成の米騒動:冷夏がもたらした全国的パニック
異常気象が引き起こした米不足
一方、平成5年(1993年)に起きた米騒動は、記録的な冷夏が原因でした。気温が平年より2〜3度低く、稲の生育に大きな影響を与えたのです。
実は、この異常気象の背景には、1991年に起きたフィリピンのピナトゥボ山の大噴火がありました。火山灰の影響で地球規模の寒冷化が起きたというわけです。
スーパーから消えた米
平成の米騒動の特徴は、実際の米不足以上に消費者の買い占め行動が混乱を大きくしたことです。スーパーやコンビニの棚から米が消え、行列ができる光景が全国各地で見られました。いつの時代も、自分さえよければという人がいっぱいいます。
タイ国が分けてくれたタイ米を「まずい」と捨てる人もいたそうです。1980年代から1990年代にかけてタイ料理ブームがあったんですが、トレンディな人たちにしか馴染みはなかったんでしょうね。
食料自給率への警鐘
この騒動を機に、日本の食料自給率の低さが問題視されるようになりました。カロリーベースの食料自給率が初めて40%を下回ったのもこの年です。日本人の主食である米でさえ自給できないという現実に、多くの人が衝撃を受けました。
令和の米騒動:コロナ禍と気候変動が引き起こす新たな課題
猛暑とインバウンド需要が引き金に
令和の時代に入り、ここ数年も米価の高騰が続いています。気候変動による今度は冷夏でなく猛暑の影響や、インバウンド需要の増加があると言われています。
コロナ禍前は訪日外国人の増加で和食への需要が高まり、一方で国内の米消費量は減少傾向にあるという複雑な状況が生まれていました。
食料安全保障への新たな視点
令和の米騒動は、食料安全保障の重要性を改めて認識させる機会となりました。国内生産の維持だけでなく、気候変動への対応や緊急時の流通システムの在り方など、多角的な視点からの対策が求められています。