
1990年代、オウム真理教は日本の国家転覆と世界征服を目指して頑張っていました。まるっきり昭和のヒーロー番組に出てくる悪の組織と同じ集団が実在していたわけです。
阪神・淡路大震災のわずか3日後、1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件はオウムの「日本ハルマゲドン計画」の一環として行われました。
さらに同じ年の11月には「1995年11月戦争」という「ヘリコプターから毒ガスを散布して東京都民を大虐殺し、首都と皇居を制圧する」ことまで目論んでいたそうです。
★ もくじ
サリン散布の現場となった駅
中心は霞ケ関駅
無色無臭の神経ガスであるサリンが撒かれた「地下鉄サリン事件」の被害は、東京メトロ(当時の営団地下鉄)の丸ノ内線、日比谷線、千代田線の3路線、16駅で、直接撒かれたのは以下の駅です。
霞ケ関駅
丸ノ内線、日比谷線、千代田線の3路線が交差する「霞ケ関駅」周辺が主要な標的となりました。霞が関が警視庁や各省庁が集中する官庁街であり、そこに通勤する職員を殺害することでオウム真理教に対する強制捜査を妨害しようとしたためでした。
ちなみに駅名は「霞ケ関」で、地名は「霞が関」。埼玉の川越にある東武東上線の駅は「霞ヶ関」。
築地駅(日比谷線)
築地駅では、列車が停車した際にサリンの影響で複数の乗客がホームに倒れ込む事態となりました。運転士が「3両目から煙が出て乗客が何人か倒れている」と通報したため、一時は「築地駅で爆発事故が起きた」なんて認識されていました。
小伝馬町/こでんまちょう駅(日比谷線)
サリンの入った袋がホームに蹴り出され、深刻な被害が発生しました。まさかそんな化学兵器が入っているなんて誰も思わないでしょうから。狭いホームに多くの乗客が下車したため、サリンの影響が広がって4人が死亡しています。
八丁堀駅、茅場町駅、人形町駅(日比谷線)
これらの駅の被害は、日比谷線の北千住発中目黒行き列車によって広まりました。この電車では、秋葉原駅で犯人の林泰男(2018年に死刑執行済)がサリン入り袋を傘の先で突き刺し、その後に小伝馬町駅で乗客がサリンの袋をホームに蹴り出したことで、被害が拡大。
八丁堀駅では小伝馬町駅で蹴り出されたサリンの袋から漏れた液体が車両内に残ったまま走っていたため、八丁堀駅停車中にも乗客たちがパニックに。複数の乗客が前後の車両に避難し始め、さらに被害者が増加しました。
茅場町駅では車内で卒倒する乗客が続出し、午前8時9分には東京消防庁に「お客さんがけいれんしている」という通報が入ります。人形町駅では、小伝馬町駅で停止していた列車を退避させる措置が取られた結果、この駅周辺でも被害者が発生しました。
地下鉄サリン事件で犠牲になった駅員たち
霞ケ関駅
霞ケ関駅では、サリンを処理しようとした駅助役の高橋一正さん(当時50歳)を含む2名の職員が犠牲となりました。高橋さんは、現場でサリンの袋を回収しようとして被曝、命を落としました。
他路線での駅員の犠牲
千代田線では、新御茶ノ水駅でサリンを排除しようとした際に助役2名が死亡。多く駅員が重症を負いました。
駅員たちの行動
事件当時、多くの駅員が危険を顧みず救助活動にあたり、多数の命を救いました。その一方で、サリンが猛毒であることを十分に認識できないまま対応せざるを得なかったため、多くの職員が被害を受けました。
遺族や関係者による追悼
現在も霞ケ関駅などでは追悼式が行われており、遺族や元職員らが献花や黙祷を捧げています。
被害者たちの、その後
事件から30年も経ちましたが、現在も多くの被害者が深刻な後遺症に苦しんでいます。
身体的症状
眼症状
約6割の被害者が「目が疲れやすい」と訴えており「かすんで見えにくくなった」という症状も約59%の被害者が報告。
全身症状
- 体の疲労感:44.1%の被害者が「体が疲れやすい」と報告
- だるさ:38.5%が「体がだるい」と訴えている
- しびれ:26.7%が「手足がしびれる」症状を経験
- 原因不明の痛み:11.3%が「全身いたる所に移動する原因不明の痛み」を感じている
精神的症状
PTSD(心的外傷後ストレス障害)
24.1%にPTSDの可能性が高いことが明らかになっています。
- 不眠: 26.7%(2023年時点)
- 事件現場への恐怖: 17.4%が「地下鉄や事件現場に近づけない」と報告
- フラッシュバック: 15.9%が「突然に事件をありありと思い出す」と訴えている
長期的影響
後遺症は長期にわたって持続しており、眼症状が20〜30%、不定愁訴的症状が30〜40%の被害者に見られます。また、身体症状は時間の経過とともに増加する傾向があり「手足のしびれ」は事件から13年後の時点で49.8%の被害者が訴えています。
個別の事例
浅川幸子さんの例では、言語障害と全身マヒの重い後遺症が残り、25年にわたる闘病生活を送りました。2020年にサリン中毒の後遺症により亡くなっています。専門家は、これらの症状がサリンによる後遺症として長期間続いている可能性を指摘しています。
結局オウム真理教の目的は、なんだった?
背景と動機
オウム真理教は、1990年の衆議院選挙で惨敗したことをきっかけに社会や国家を敵対視し、対決姿勢を強めていきました。いや普通に誰も投票なんかしないと思うんですけど。
その後、1995年2月に起きた公証役場事務長逮捕・監禁致死事件で教団に捜査が入る可能性が高まっていました。
で、教団は「日本ハルマゲドン計画」と呼ばれる国家転覆を目指す武装化計画を進め、サリンなどの化学兵器の開発に着手します。
地下鉄サリン事件の目的
主な目的は、教団への捜査を妨害し、かく乱すること。また、サリンの殺傷力を実験し確かめる意図もありました。さらには無差別テロを通じて、教団の力を社会に示そうとしていた可能性もあります。
ただし尊師の知能が足りず逮捕される可能性は考えていなかったようです。結果的に、ただただオウムの危険性を社会に知らしめる結果となり、教団の崩壊へとつながっていきました。