
よど号ハイジャック事件は、日本初のハイジャック事件だそうで。最近はもう対策も進歩して、ハイジャックという言葉自体あまり聞かないですけどね。ニューヨークの911も、四半世紀前です。
で、この「よど号事件」。てっきり例の団塊世代が暴れた事件かと思ったら、世代の定義としてはちょっとズレた生まれの方々でした。
いずれにしても時代が時代なら、あるいは環境が環境なら、その後のバブル時代をしっかり享受できた人たちでしょう。ちょうど70-80年代のヤンキーブームに青春時代がぶつかったせいで、そんな素質は無かったのにうっかり道を外してしまった人たちみたいな不運さですね。
ちなみに「よど号」という名称。当時のJALは航空機ごとに愛称を付けていて、この機種には日本の川の名前をあてており、よど号の愛称は滋賀京都大阪を流れる淀川からきているそうです。
日本の河川名ってなんか地味ですよね。ペットっぽいのとか可愛いと思うんですけどどうでしょうか。現代だと「むぎ号」「ココ号」「ラテ号」のような感じですか。
よど号ハイジャック事件の結末
事件の終わり
1970年3月31日、羽田発福岡行きの日航機「よど号」が赤軍派の9人に乗っ取られ、福岡空港と韓国の金浦空港を経て最終的に平壌へ向かった事件。この結末は3日後の4月3日、乗客の解放と引きかえに犯人グループが北朝鮮へ向かう、という形で終了しました。
その後、犯人たちは日本に戻らず、お望み通り北朝鮮で暮らすことに。犯人グループ9人のほか、乗員3人に加え身代わりとして山村新治郎運輸政務次官も北朝鮮当局に確保されました。
当時、その人質になることを買って出た山村氏は「男やましん」とか言いわれ「身代わり新治郎」という曲まで出たそうです。緊張感無さ過ぎで、今なら大炎上ですね。
乗客解放まで
事件のさなか乗客たちを守るための交渉が続けられ、福岡空港で給油したあとに、まず病人、女性、老人、子どもなど23人が解放されます。その後、金浦空港でもさらに交渉を進め、最終局面で日本政府側が山村氏を人質の代わりに差し出す形を犯人側が合意。
こうして乗客は救出され、事件は人的被害を広げずに終息へ向かいました。
その後の影響
この事件は、日本で起きた最初のハイジャック事件として社会に強い衝撃を与えました。そして犯行グループのメンバーは北朝鮮に残り、その後の人生は「天皇陛下万歳」ではなく「金日成元帥様万歳」として歩むことになります。
犯人の現在
田宮高麿
グループの中心にいた人物、つまりリーダー格。事件後は北朝鮮に亡命し、そのまま現地で生活を続けましたが現在ではすでに死亡が確認されています 。
小西隆裕
小西はサブリーダー的存在で、現在まで北朝鮮に残っている人物の一人とされています。1944年生まれで東京大学理科三類、別名東大医学部に進んだエリート。医者より革命家のほうが人のためになると思って全共闘に加わったとのこと。
現在も北に住んでいるらしいですが、外部との接触はほとんど確認されていません。
魚本公博
事件当時は関西大学の学生。昔は安部でしたが結婚後は妻の姓「魚本」を名乗っています。現在も北朝鮮で生存しているとみられますが、拉致問題との関わりが疑われている人物でもあり、国際手配中。
若林盛亮
若林盛亮(もりあき)も北朝鮮に残留。当時は同志社大学経済学部に在籍していて、なんと山口冨士夫も在籍していた、あの伝説のバンド「裸のラリーズ」の初代ベーシストです。
2024年末の時点で残ったメンバーからの日本向け通信が止まったらしく、さらに近況は不明に。国際手配中ですが、もう、ほぼみんな後期高齢者ですよ。
赤木志郎
赤木は大阪市立大学に在学していた人物。彼も北朝鮮に残っているとみられ国際手配中。いちおう公開情報では生存扱いですが、本人の言葉や現地での生活はほとんど表に出ていません。
岡本武
岡本は後に田宮と対立し、噂では脱北を試みて捕まり強制収容所で死亡したという説も。ただ日本側では確認できていないため、現在も手配中とのことです。
田中義三
90年代にタイで身柄を拘束され、2000年日本に引き渡されました。そして服役中の2007年、肝臓がんで死亡。
吉田金太郎
金太郎って名前、実在するんですね。学生メンバーが多かった中、ただ1人労働者出身。
85年に平壌の病院で亡くなったとされていますが、さまざまな疑念が語られていて実は77年にすでに強制収容所で死亡していたという話もあります。
柴田泰弘
事件当時、なんと最年少の16歳。1985年に人と金を集める指令を受け極秘帰国中、逮捕されました。そして出所後の2011年、58歳で自宅アパートにて病死しているのを発見されます。
何と言うか、一連の北朝鮮による拉致事件には、このよど号事件のメンバーが関わっていた可能性が高いみたいです。
当時の首相は誰?
当時の首相
事件当時の首相は、佐藤栄作。佐藤栄作は岸信介の弟で、現代の目から見ると岸信介は安倍晋三の母方のおじいちゃんで、つまり安倍晋三の大叔父が佐藤栄作です。
佐藤栄作首相は事件発生後「最終的な責任は自分にある」と明言、国会でも「いかなる場合といえども最終的な責任者は私自身にある」と繰り返しました。これは、政治的責任を明確にすることで官僚や大臣が現場で動けるようにする足場作りのため。
政府本部、運輸大臣、政務次官の動き
佐藤内閣は事件の対策本部を設けず、運輸省を中心に警察、防衛、外務など関係省庁が連携して対処する形を取りました。
そして運輸大臣の橋本登美三郎がソウルに飛び、韓国当局と協議。結果、運輸政務次官の山村新治郎が身代わりの人質として機内に入ることになります。最終的に、乗客は全員無事に解放されました。
その後の評価
犯人グループを北朝鮮に送り込む形とはなりましたが、こうした政府の対応は結果として人質の命を守ることに成功したと言えます。あれもこれもうまくやれなんてのは無責任であり、ここは首相である佐藤栄作氏を褒めてあげるべきですね。


