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【またSNSか?】元兵庫県議の竹内英明氏が急逝、その経歴と5期17年の実績

【またSNSか?】元兵庫県議の竹内英明氏が急逝、その経歴と5期17年の実績

刃物で刺す、銃で撃つ、首をチョークする。人を殺める方法はさまざまあり『言葉』もそのうちの一つで殺傷力も比較的強いのに、どうもモラル的にも法的にも軽んじられているように見えてなりません。

兵庫県姫路市出身の元県議会議員、竹内英明氏が2025年1月18日、50歳で亡くなりました。竹内氏は2007年から5期17年にわたり兵庫県政に携わり、地域政策に尽力してきた人物です。

しかし、昨年11月に「一身上の都合」を理由に突如辞職。その背景には、ネット上での誹謗中傷があったとされています

彼は政治家としての顔だけでなく、ラグビー少年だった過去や、絵本「泣いた赤鬼」に影響を受けた正義感あふれる一面なども持ち合わせていました。

竹内英明氏の経歴:コンビニ本社勤務から県議5期連続当選まで

セブンーイレブンで培った"現場力"

竹内英明氏は1997年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、セブンーイレブン・ジャパンに就職しました。政治家を目指していた竹内氏がなぜコンビニ業界に飛び込んだのでしょう?

その理由は、ある先輩議員からの助言。「民間企業での経験が政治活動の役に立つ」というアドバイスを受け、竹内氏はコンビニをインフラとして活用すれば消費者との接点を押さえられると考えたのです。

さらに、竹内氏は将来コンビニが銀行業に進出するだろうということも視野に入れていました。実際、セブン銀行の構想は1999年11月から始まり、2000年に銀行業の予備免許を取得。そして翌年の2001年、正式に銀行として誕生します。

政治の世界へ:新党友愛から兵庫県議会へ

民間企業での経験を積んだ竹内氏は、退職後に新党友愛の事務局に入局。その後、民主党本部で参議院国対副主査を務めました。地方政治への第一歩は2003年、29歳で姫路市議会議員に初当選したことでした。

そして2007年、兵庫県議会議員選挙に挑戦し見事当選を果たします。以後、5期連続で当選を重ね、2024年11月に辞職するまでの17年間にわたって兵庫県政に携わりました

さらに立憲民主党系議員らでつくる会派「ひょうご県民連合」にも所属し、地域政策に力を注いできました。

知られざる竹内英明氏の素顔:ラグビー少年から正義の味方へ

ドラマ「スクールウォーズ」に憧れた少年ラガーマン

竹内英明氏は小学生時代、ラグビー少年でした。きっかけは1984年に放送されたドラマ「スクールウォーズ」。このドラマに影響を受けた竹内氏は、小学4年生から6年生までの3年間、「姫路ラグビースクール」に所属していました。

チームスポーツすべてに当てはまりますが、特にラグビーは「One for all, All for one(一人はみんなのために、みんなは一人のために)」という精神を大切にするスポーツです。

チームワークを重視し、市民のために尽くす姿勢はラグビーで培った精神と重なるものがあります。

絵本「泣いた赤鬼」から学んだ正義感

竹内英明氏の正義感の源は、子ども向けの絵本にありました。それは「泣いた赤鬼」という物語です。この絵本は、人間と仲良くなりたい赤鬼と、その赤鬼を助けるために自分を犠牲にする青鬼の友情を描いた作品。

竹内氏は、この絵本から大きな影響を受けたと語っています。この思いが、高校時代の夢である「弁護士になって弱い立場の味方をするか、検事になって悪いものを懲らしめる」という志につながったのでしょう。

結果として法曹三者ではなく政治家を目指すことになりますが、この正義感は健在だったようです。

突然の辞職と悲劇:ネット上の誹謗中傷が引き金に?

百条委員会での活動と誹謗中傷の嵐

竹内英明氏は、斎藤元彦兵庫県知事のパワハラ疑惑を調査する県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員を務めていました。この委員会は、元幹部が作成した斎藤知事のパワハラなどについて告発した文書の内容を調べる重要な役割を担っていました。

しかし、この活動中に竹内氏はソーシャルメディア上で大量の誹謗中傷を受けることになります。根拠不明の書き込みが相次ぎ、告発に関わったとする投稿が出回りました。これらの中傷は、竹内氏の心を深く傷つけたようです。

「家から出ることも難しい」苦悩の日々

誹謗中傷は、竹内英明氏の日常生活にも大きな影響を与えました。関係者によると、竹内氏は周囲に「家から出ることも難しい状況だ」と相談していたそうです。

政治家として公の場に立つことが求められる立場でありながら、外出すら困難な状況に追い込まれていたのです。

この苦悩は、2024年11月の知事選直後に「一身上の都合」を理由に県議を辞職するという決断につながりました。しかし、辞職後も誹謗中傷は続き、竹内氏は周囲に相談を続けていたといいます。

50歳での急逝:社会に残された課題

2025年1月18日夜、竹内英明氏は姫路市内の自宅で亡くなっているのが発見されました。わずか50歳での急逝に、多くの人々が衝撃を受けています。

竹内氏の死は「誹謗中傷が人の人生を大きく左右し、最悪の場合は命さえも奪う」という現代社会の深刻な問題を、まぁた浮き彫りにしました。

何度も何度も繰り返されているこの事案、しっかり法律を機能させてください。特に警察関係者。

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