
パキスタンのK2(8611m)に未登壁から挑戦していた平出和也さんと中島健郎さんの2人が、約7000メートルで滑落し安否不明であるというニュースが入ってきていました。
その後、救助活動が行われていましたが、3日経って動きがなくなったことや崩落による二次災害の恐れから、家族の同意を得て救助を打ち切ったと、所属していた石井スポーツが公表しました。
平出さんといえば、故・谷口けいさんとのコンビネーションで数々の未踏峰に挑戦し、業界でも高い評価を受けてきた登山家。
改めて
- 平出和也さんと谷口けいさんの関係は?
- 未踏峰への挑戦とは何?
- 平出和也さんと谷口けいさん、二人の登山の軌跡は?
といった疑問について調べてみます。
★ もくじ
平出和也さんが語る谷口けいさんとの思い出
平出和也さんと故・谷口けいさんは、ともに日本を代表する山岳クライマー。夫婦などではありませんが、一緒に困難なルートに挑戦し命を預け合うバディとして深い絆で結ばれていました。
平出さんは、7歳年長の谷口さんと歩んだ10年間の登山生活を通じて、多くのことを学び成長したと語っています。
二人の絆と関係について
平出和也さんと谷口けいさんの出会いは、平出さんがまだ東海大学山岳部の主将だった2001年。他の大学の山岳部で活動していた仲間と2人で、チベットとネパールの国境にあるチョ・オユー(8201m)に登頂、その発表パーティーの席ででした。
そのときはそれで終わりましたが、その2年後に石井スポーツの社員となっていた平出さんがお店に来た知り合いに遠征の勧誘などをしていたところへ谷口さんがやってきました。
そして流れで一緒にヒマラヤのゴールデンピークへ登頂することになり、その登山をきっかけに2人は数々の挑戦をともに行うパートナーとして活動を始めることになります。
谷口けいさんの人柄と魅力
謙虚さと感謝の心
谷口さんは自分のことを「山を登る旅人」と表現し、登山のグレードや評価を全く気にしなかったと言われています。彼女は「登らせてくれてありがとう」と涙ぐんで感謝の気持ちを表現することもあったとか。
信頼と勇気
ザイルパートナーである平出和也さんは、彼女への信頼がなければ挑戦しなかった山がいくつもあると語っています。特に極限状態では、パートナーへの信頼が不可欠であり、平出さんは谷口さんを完全に信用していました。
自己信頼と挑戦
谷口さんは「やってみなければわからない」という考え方を持ち、社会からの評価や枠組みに囚われず、自分の信念に従って行動していました。
平出和也さんと谷口けいさん、未踏峰への挑戦

初めての共同登山とその成果
先述の通り、平出和也さんと谷口けいさんの初めての共同登山は、2004年にヒマラヤのゴールデンピークで行われました。
この登山は、未踏のルートであった北西稜を登るという非常に挑戦的なものであり、彼らの登山キャリアにおいて重要な成果となりました。また2人の共同登山の出発点ともなっており、その後長年にわたる協力関係へと発展していきます。
その他、登頂した山
ゴールデンピーク以降は、2004年にパキスタンのライラピーク東壁(6200m)、2005年はインドのシブリン北壁(6543m)、2008年にインドのカメット南東壁(7756m)と、2人で次々に未踏ルートをクリアしていきました。
未踏峰への挑戦の意義
平出和也さんは、未踏峰や未踏ルートへの挑戦に大きな意義を見出していた登山家です。その取り組みには、以下のような意義がありました
- 自己成長の機会
平出さんは、未踏峰への挑戦を通じて自分の成長と未熟さを知ることができると考えていました。新たな課題に挑むことで、自身の限界を押し広げ、技術や判断力を向上させる機会となっていたのです。 - 答え合わせの場
未踏峰や新ルートへの挑戦は、自ら課題を見つけて「答え合わせ」をする意義があると平出さんは語っています。これは、自分の能力や判断の正確さを実際の山で検証する機会となっていたことを示しています。 - 共通の夢の追求
平出さんと谷口さんは、同じ「登りたい山」を持っていたことが、長年パートナーとして登山を続けた理由だったと平出さんは述べています。未踏峰への挑戦は、二人の共通の夢を追求する場となっていました。 - 登山技術の進歩
平出さんは、登山用具の進歩により垂直に近い登攀が可能になったと述べています。石井スポーツの所属でもあった彼の未踏峰への挑戦は、こうした技術や装備の進歩を実践の場で試す機会にもなっていました。
平出和也さんと谷口けいさんの功績
ピオレドール賞
ピオレドール賞(Piolets d'Or)は、優れた登山家に贈られる国際的な賞で、「登山界のアカデミー賞」とも呼ばれています。フランス語で「金のピッケル」を意味し、受賞者には金のピッケルが授与されます。
この賞は、1991年にフランスの山岳雑誌『モンターニュ』とグループ・ドゥ・オート・モンターニュ(Groupe de Haute Montagne, GHM)によって創設されました。
平出さんは、この登山界で最も権威ある国際賞を3回受賞しています。
- 2008年10月:インドのカメット峰登頂により、日本人として初めてピオレドール賞を受賞
- 2017年8月:パキスタンのシスパーレ峰登頂により、谷口さんとともに受賞
- 2020年:パキスタンのラカポシ南壁の未踏ルートからの登頂により、中島健郎さんとともに3度目のピオレドール賞を受賞
平出さんは未踏峰や未踏ルートへの挑戦を重視し、クライミングをより創造的な行為へと昇華させた功績が評価されています。
谷口けいさんの最期
谷口けいさんは2015年12月21日、北海道の大雪山系黒岳で滑落死しました。
- 仲間4人と12月20日、黒岳に入山。
- 12月21日に登頂を果たした後、休憩中に用を足すために同行者から離れる
- その後、連絡が取れなくなる
- 捜索の結果、山頂付近の北西側の岩場の影の崖のそばに谷口さんの手袋とザックが残されているのが発見された
- 12月22日午前9時35分頃、登山仲間によって遺体発見。遺体は山頂から約700メートル下の斜面で、雪に埋もれた状態で見つかった
- 死因は脳挫傷で、全身を強く打っていたとされている
警察の見立てでは、谷口さんは頂上付近から転落後、斜面を数百メートル滑り落ちたとみられています。同じく登山家で交流のあった野口健さんは、自身のブログでこう綴っていました。
「まさかけいさんが」という思いと「ついに来るべか時が来てしまった」との感情が絡み合った。
野口健公式ウェブサイト
先鋭的な山登りを続けていれば時間の問題でいつかは死ぬ。一部の例外を除けば。
けいちゃんのよりハードな登山スタイルにこんな日が訪れてしまうのではと怯えていた部分もあった。
我々、山屋は「自分は山では死なない」と感じつつも、仲間を山で失う度に、次は自分の番かもしれないと密かに感じてしまうものです。
また、平出さんは新しいパートナーの中島健郎さんとシスパーレに登頂した際、山頂の雪の中に谷口さんの遺影を埋めました。