
熱海や伊東など温泉で有名な伊豆半島は静岡県。伊豆大島は東京都です。東京って区と市以外に人が住む島が11島(伊豆諸島9島+小笠原諸島2島)あって、無人島を入れると約600以上もあります。これらの島民も、まごうことなく東京都民です。
そんで、そのうちのひとつ伊豆大島に「1月24日の夜に海を見てはいけない」という風習があります。その日に限らず、夜に海を見たところで暗くて何も見えないと思うんですけど、その禁忌の背景には江戸時代に起こった悲しいお話がありました。
★ もくじ
泉津(せんず)地区に伝わる特別な風習
日忌様(ひいみさま)の風習とは
伊豆大島の北端に位置する泉津地区には、今も大切に守られている特別な風習「日忌様」があります。この風習は毎年1月24日に行われ、村の人たちは静かに家で過ごします。
日忌様の由来と伝説
泉津地区には1640年代、島民を苦しめる悪い代官がいました。というか代官って常に悪のイメージですね。代官ってのは、現代に置き換えると官選の市長みたいな感じ。つまり、選挙で選ばれたのではなく国や都道府県から派遣され、ある地域の行政全般を任される責任者です。
で、当時の村の若者25人が島の平和を守るために知恵をしぼり、暴風雨の夜にこの悪い代官を討ち取ります。
この殺人で罪人となった若者たちは、神社の大きな木を切り倒して丸木舟を作り島から逃亡。しかし逃げた先の島々で受け入れてもらえず、やがて海で遭難、命を落としてしまいました。
この25人の若者の霊が毎年1月24日の夜に泉津へ帰ってくると信じられており、彼らを日忌様と呼んでいるのです。
1月24日の過ごし方
- 夕方になると家の戸や窓をしっかり閉め、隙間もふさいで外から見えないようにします
- 外出は控え、特に日没後は絶対に外に出ません
- 海を見てはいけません。これは日忌様に見つからないようにするためです
- 家の中では静かに過ごし、大きな音を立てたり、騒いだりしません
- 子どもたちは早く寝かせます
- 家畜も山の見えない場所に移動させ、小屋は隠します
なんかこう聞くと、悪代官を退治してくれた人たちに対してあんまりな仕打ちって感じするんですけど。島民が外道に思えてきます。
特別な準備とお供え
- 神棚には、若者の人数と同じ25個のお団子や25個の餅をお供えします
- 玄関や勝手口には、海で拾った丸い小石を25個並べて道を作り、海水をかけて清めます
- 扉や窓には「トベラ」という魔除けの葉や、ノビル(にんにくのような匂いの草)を結びつけて飾ります
このような準備をすることで、日忌様の霊が家に入ってこないように、また家族の無事を願うそうです。これ今でもやってるんだから、世界の未開の村で行われてる祈祷とかバカにできないですよね。
日忌様の夜にしてはいけないこと
外をのぞいたり物音を立てたりすると、不幸が起こると信じられています。この日によそ者が村に入ることも禁じられていました。昔は、村の入口で見張りをし、外から来た人を追い返したそうです。今も島外からの訪問は自粛させられているとのこと。
伊豆諸島に広がるバリエーション
利島(としま)の場合
利島でも大島と同じように、1月24日を「カンナンボウシ(海難法師)」の日として忌みます。この日、家の入口にトベラやノビルの枝を飾り、外出や海を見ることを禁じます。これは、海難法師の霊が災いをもたらすとされているため。
新島(にいじま)の場合
新島でも1月24日は海難法師の日とされ、特別な風習があります。村人は朝に山からトベラの枝葉を取ってきて、夕方には雨戸の隙間に挿します。この日は夜12時以降、絶対に外出してはいけません。用事も家の中で済ませます。
新島には海難法師の神体を祀る家が2軒あって、そこでは油揚げを作り家族が静かに一晩を過ごします。翌朝に村人は米を供え、返礼として油揚げをもらう習慣も残っています。油揚げの意味はわかりません。
新島って1980年代はナンパ島だったそうですが、その頃もこの風習は続いていたのでしょうか。バチあたりですね。
他の島
大島では被害者である若者たちの霊が恐れられるのに対し、他の島では加害者である代官の霊が恐れられています。歴史学者の間では、史実と伝承が混交した結果と分析されています。
現代でも泉津地区の旧家では、夜通し浜辺で霊を迎える儀式が続いています。この風習を軽視すると不幸が訪れるという言い伝えから、観光客向けに1月24日の訪問自粛を呼びかける看板が設置されるほど。
AIだのブロックチェーンだのテクノロジーが進歩する世の中ですが、世界は広いです。