「うつろ舟」というのは、日本各地で古くから民間に伝えられてきた架空の舟。
主に深夜の川に現れて、人や物を乗せた舟が泳ぐように流れていく姿が目撃されるというものです。それだけ聞くと、単なる遺体隠しや夜逃げじゃないかとも思うんですが。
いずれにしても、いちばん有名な事例は1803年(享和3年)の常陸国(現在の茨城県)のもので、この伝説では円盤状の舟が常陸国の海岸に漂着し、その中には美しい女性が乗っていたとされています。これ美しくないおじさんだったなら、都市伝説感が一気に薄れますね。
★ もくじ
常陸国のうつろ舟伝説とは
先述のとおり、茨城の海岸に釜みたいなUFOみたいな形のものが漂着して、遭遇した地元の人がビックリしたという話。
なお舟が漂着した浜の名前は「はらやどり」と記述されていますが、国立国会図書館所蔵の新古雑記という資料から推測して、これは現在の茨城県神栖市波崎舎利浜じゃないだろか、と言われています。
うつろ舟の特徴と目撃談
この舟みたいものは、鉄製で丸っこい形をしており、窓もついていたとか。舟の中には変なよくわからない文字みたいなものが書かれていて、中には言葉の通じない20歳くらいの美女が60センチ四方ほどの箱を持って乗っていたのだそう。身長は150cm程度、血色がなく青白くて眉と髪の毛は赤黒く、歯は白く細かい。
あとは、やわらかそうな敷物みたいなものが2枚、水が2斗(約36リットル)ほど入ったツボと肉を練ったような食べ物がありました。
結局、舟は漂着した後そのまま海に流れていったとされ、この女性のその後については具体的な記録は残されていません。
ただし、そのことがまた神秘性を深めて、この伝説をより魅力的なものにしています。
うつろ舟の正体に関する諸説
UFO説
古代宇宙飛行士説を主張する人たちは、地球外や未知の文明由来の産物として取り上げています。「江戸時代のUFO飛来事件」「日本のロズウェル事件」なんてことも言われています。
単に形が似ているというだけで、空を飛んでいたという記述はないようですが。
養蚕信仰にまつわる金色姫伝説
この説では、うつろ舟の中の女性は金色姫(こんじきひめ)とされ、養蚕信仰と関連付けられています。
金色姫は、日本の伝説や民話に登場するキャラクター。古代インド(天竺)の旧仲国という国、リンエ大王の娘でした。母親が亡くなった後に大王は新たな后を迎えましたが、この后(つまり継母)は金色姫を嫌って、何度も命を狙いました。
しかし、金色姫はその都度助けられ、最終的には桑で作った「うつぼ舟」に乗せられ、海に流されました。この船は最終的に日本の常陸国(現在の茨城県)に漂着し、地元の漁師に助けられました。
その後、金色姫は病に倒れ、亡くなりましたが、その死後も彼女は夫婦の夢に現れ、自分が蚕に変わったことを告げ、蚕の飼い方を教えました。これが日本での養蚕の始まりとされています。
途中まではホントっぽい話。
神の乗り物説
国文学者の折口信夫や民俗学者の柳田國男の考察によれば、うつろ舟は「たまのいれもの」、つまり「神の乗り物」であるとされています。
「神の乗り物」とは、神が人間の世界に降りてくる際に使用するとされる乗り物のこと。
折口信夫は「うつろ舟」が神がこの世の姿になるまでの間入っている必要があるため、入れ物のような形になっていると説明しました。
一方、柳田國男は「神の乗り物」は古代日本で信仰された海の彼方にある異世界、常世の国から本土に到着したと伝わっていることで、潜水艇のようなものではないかと考えました。
彼らの視点から見ると「神の乗り物」とは神々が人間の世界に関与するための媒介や象徴であり、神々の力や存在を人間が理解し認識するための重要な道具となっています。
なんというか、本人に直接問いたださないとよくわからない説です。
具体的な地名との関連
岐阜大学名誉教授であり、量子光学の専門家である田中嘉津夫氏は「うつろ舟奇談」に関わる史料を調査し、漂着地の地名が「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)と記されていることから、うつろ舟に関しての記述に具体性があるとの論説を発表しています。
科学的視点で、うつろ舟の正体を探ることはできる?
漂着したうつろ舟の形状や材質から、舟の来歴を推定できる可能性があります。
また舟の漂流経路を気象データや海流から算出することで、どの方角から来たのかを特定できるかもしれません。
舟の表面の付着物や舟内部のサンプルから、漂流時期や漂流中の環境を推定する手掛かりが得られるかもしれないし、舟の構造から実在の乗り物なのかただの都市伝説なのかを見極める材料になります。
こうした科学的アプローチによって、漂着うつろ舟の正体や来歴が明らかになる可能性があると思われます。
実際の舟が残っていれば、の話ですけど。
常陸国うつろ舟の正体
いずれにしても、これらの説は当然明確な証拠があるわけではなく、真実は依然として不明のまま。
伝説というものは、われわれ人間の歴史や文化の一部であり、その神秘性から人々の想像力を刺激していくのです。これからも。