
我が国の、少年を長年にわたりレイプし続けた芸能事務所や女子アナの性接待のほか、世界でもカトリック教会による性的虐待スキャンダルやエプスタイン事件など、21世紀に入ってから湯水のように発覚するこの手の事件。
生殖行為を楽しむのは人間だけ(霊長類も?)という話を聞いたことがありますが、同時に独自の理性を持っているのも人間。だから理性で抑えずに他人の人権を侵す輩からは人権を取り上げてもいいという理論にはならないでしょうか。
ペットだって去勢するんだから人間だってしていいはずです。
アメリカの成金ジェフリー・エプスタインと英アンドルー王子から、性的被害を告発したバージニア・ジュフリーさんが2025年4月に亡くなりました。幼少期の困難から国際スキャンダルへの発展まで、波乱に満ちた生い立ちを探ります。
★ もくじ
ヴァージニア・ジュフリーの生い立ちと幼少期
ヴァージニア・ジュフリーの幼少期
ヴァージニア・ジュフリーは1983年8月9日、カリフォルニアの州都サクラメントにヴァージニア・ルイーズ・ロバーツとして生まれました。その後、家族は彼女が4歳の時にカリフォルニアの正反対にあるフロリダ州の小さな町ロクサハッチーに引っ越します。
彼女の人生は、最初から苦難に満ちていました。7歳の時、家族の親しい友人という基地外から性的虐待を受けたのです。後にヴァージニアは、この恐ろしい経験が「私の人生を一変させた」と語っています。
搾取され続けた少女時代
そんな家庭環境から逃げ出し、彼女は里親のもとさまざまな家庭を転々とします。14歳の時、彼女はとうとう路上生活を始めますが「路上生活で得たのは飢えと苦痛、そしてさらなる虐待だけだった」と回想しています。
この間、彼女はロン・エッピンガーという年上の男性にも搾取されていました。彼は偽のモデル事務所を運営し、それを売春の隠れ蓑として運営していたのです。ヴァージニアは6ヶ月間彼のもとで暮らしましたが、FBIによってエッピンガーの活動は阻止されます。
エプスタイン事件の加害者、ギレーヌ・マクスウェルとの出会い
最終的に、ヴァージニアはフロリダ州にある「マー・ア・ラゴ」(ドナルド・トランプの別荘だけど会員制のホテルみたいなとこ)で働いていた父親と再会。
父親の助けでヴァージニアはそこでロッカールーム係として働くことができましたが、わずかな安定も長くは続きませんでした。ここでジェフリー・エプスタインの共犯者の女、ギレーヌ・マクスウェルと出会い、エプスタイン事件の被害者となっていったのです。
事件の後
このようにヴァージニアは多くの悲劇に直面しましたが、初期の苦難を通して同じようなトラウマを乗り越えた人々を支援する擁護者となり、性的人身売買との戦いに人生を捧げるようになります。
エプスタイン事件とアンドルー王子との関係
ヴァージニアが語った、アンドルー王子との接触
2001年、当時17歳だったヴァージニアはエプスタインの指示でロンドンへ。ギレーヌ・マクスウェルと共にナイトクラブでアンドルー王子と出会い、ベルグレイヴィアの邸宅で性的関係を強要されたと主張しました。
「エプスタインが1万5,000ドルを支払った後に王子と関係を持たされた」と述べ、王子が自分の腰に手を回した写真も存在すると指摘。さらにBBCインタビューで「浴槽で足を舐められるなど異常な行為を受けた」と詳細を語り、王子の「権力と人脈を背景に反抗できなかった」と訴えました。
アンドルー王子の恥ずかしい反論
王子は2019年のBBCインタビューで「その日はピザチェーン店で娘と過ごしていた」と具体的なアリバイを主張し、また「汗をかかない体質だからダンスクラブで踊ったという話は嘘だ」と斬新な言い訳で反論。
しかしエプスタインの飛行機の搭乗記録には王子の名前が複数回記載され、エプスタインの自宅に3日間滞在した事実も認めています。この滞在について「関係を断つためだった」と苦しい説明をしましたが、公的な批判を招きました。
2022年の和解とその後
2022年2月、王子はジュフリーさんとの訴訟で大枠の和解に合意。和解金の金額は非公表ながら、ジュフリーさんが設立した被害者支援団体への多額の寄付が含まれました。
王子は声明で「ジュフリーさんが虐待の被害者であることを認め、エプスタインとの交友を後悔する」と述べましたが、直接的な責任は認めていません。その後、王子はすべての公務から退き、王室の一線から遠ざかっています。
新たな文書公開で浮かぶ、権力者のネットワーク
2025年4月、エプスタイン事件に関連する裁判資料の第3弾が公開され、200人近い著名人の名前が含まれていることが判明します。
文書にはアンドルー王子のほか、クリントン元大統領やトランプ元大統領の名前も登場しますが、直接的な犯罪関与を示す記述はありませんでした。怪しいけど。ジュフリーさんは残念ながら2025年4月に41歳で自殺、真相解明への道は閉ざされかけています。
アンドルー王子との和解金支払いが真実の究明を阻んだという批判もあるようですが、そんな結果論を言われても。なおエプスタインも獄中で自殺しており、いろいろ闇が深そうな。
41歳の突然の死とその背景
オーストラリアでの最期
ヴァージニアはオーストラリア西部の街パース郊外の農場で、4月24日夜に意識不明の状態で発見され、現場で死亡が確認されました。警察は「不審な点はない」と発表していますが、3週間前には自動車事故で負傷したことを自身のインスタグラムで報告していました。
家族は「事故の公表は本人の意図ではなかった」とし、警察も「事故の規模は小さかった」と説明しています。
遺族は声明で「彼女は性的虐待と人身売買の被害者としての人生を終え、自ら命を絶ちました。虐待の重圧が限界を超えた」と述べ、3人の子どもを残したことを明らかにしました。
晩年の闘いと社会への影響
ジュフリーさんは性的虐待サバイバーの希望の光と呼ばれ、被害者支援の象徴として活動していました。しかし家族によれば、トラウマとの闘いが晩年まで続き「子どもたちだけが支えだった」と伝えられています。
エプスタイン事件の核心的被害者としてメディアに頻繁に登場したことが、かえって精神的負担となっていた可能性も。