
子どもの頃はスポーツ選手っていっぱい稼いですごいなーと思ってましたけど、大人になるとサラリーマンと比較し、その現役時代の短さを知って過酷さに思いを馳せることになります。
そう考えると選手として名を残しただけでなく引退後もあらゆる分野で活躍する人を見ると、素直に尊敬の念を抱かずにはいられません。
★ もくじ
迫田さおりの年収の推察
経歴と現在の仕事
元バレーボール日本代表の迫田さおりさん。2017年に現役を引退してからは、東京と鹿児島を拠点に、主に下記の活動をしています。
- バレーボール大会のテレビ解説
- メディア出演
- バレーボール教室・イベント
- 講演やトークショー
- YouTubeなどソーシャルメディアでの発信
- コラボグッズの商品企画・販売
各収入源と推察される金額
それぞれの活動内容から、収入を想定します。推定額は公開情報と業界水準からの参考値。
解説・メディア出演
バレーボール主要大会での解説や、テレビ・ラジオ番組への定期的な出演。スポーツ解説者のギャラは1回数万円~十万円程度、年間を通して活動すると400万円~800万円ほどになるケースが多いようです。
講演・イベント出演
アスリートや著名人による講演会やスポーツ教室のギャラは、1回10万円~50万円が相場です。迫田さんのように知名度が高い場合、年に10~20回程度の出演で300万円~500万円くらいと推察されます。
出版・執筆活動
エッセイやバレーボール解説書、コラム執筆などの出版印税や原稿料が考えられます。これらは多くないものの、年間100万円~200万円程度の副収入になることがあります。
スポンサー・グッズ収入
迫田さんは「火の鳥」などとのコラボ商品も手掛けています。個人グッズでの収益は、大きな額ではないものの副収入として数十万円~100万円規模となる場合もあります。
他のバレーボール元日本代表の年収事例
現役時代の年俸は、Vリーグ上位女子選手で約800万円ほど。引退後の有名選手で、メディアや講演活動が多い人は推定年収1,000万円前後になる場合が多いとされています。
年収の合計推察
以上をもとに計算すると、迫田さおりさんの現在の推定年収は次の通り。
収入源 推定年収
解説・メディア出演:400万円~800万円
講演・イベント出演:300万円~500万円
出版・執筆活動:100万円~200万円
スポンサー・グッズ販売:数十万円~100万円
合計で、およそ800万円~1,500万円前後が迫田さおりさんの年収の目安と考えられます。
総括
スポーツ文化人や元代表選手として活動を広げているため、一般的な会社員より高水準ですが、プロ野球選手や世界的アスリートほどの年収ではないとみられます。
正確な金額は非公表ですが、著名な元アスリートの一般的な水準を大きく外れることはないと考えられます。あとは鹿児島のなまりをもっと強く打ち出していけば、数万円は増えるのではないでしょうか。
迫田さおりについて|元バレーボール日本代表の華麗な経歴
生い立ちとバレーボールとの出会い
迫田さおりさんは1987年12月18日、鹿児島県鹿児島市で生まれました。小学3年生のときにバレーボールを始め、高校は鹿児島県立鹿児島西高等学校(現・鹿児島県立明桜館高等学校)へ進学。
この高校は強豪校ではなく、バレーを楽しみながら普通の女子高生として生活していたそうです。
東レアローズでの活躍
しかし高校卒業後の2006年、Vリーグの強豪チーム「東レアローズ」に入団。身長175cmの恵まれた体格と、持ち味の高いジャンプ力を活かしたバックアタックでチームの主力選手となります。
2012年ロンドンオリンピック
2010年4月、全日本女子バレーボール代表に初選出。そこから多くの世界大会に出場し、日本の女子バレーボールを代表する選手に成長しました。
2012年8月のロンドンオリンピックでは、日本代表の一員として出場。3位決定戦の韓国戦で先発として23得点をあげる大活躍を見せ、日本女子バレーにとって28年ぶりとなる銅メダル獲得に大きく貢献しました。
この活躍は多くのスポーツファンに感動を与え「バックアタックの女王」として一躍有名に。バックアタックってのは、後衛の選手がアタックライン(3メートルライン)より後ろからジャンプしてスパイクを打つ攻撃方法。
素人目で見ても「そんなの拾えるわけねーじゃねーか」というとんでもない速度と角度の球を打ちます。
続く2016年のリオデジャネイロオリンピックにも出場し、日本代表は5位入賞という結果を残しました。
引退後
2017年に東レアローズを退団し、現役を引退。その後はスポーツ解説者やタレント、バレーボール教室の講師など、多方面で活躍しています。また、トークショーやテレビ出演、イベントでの講演活動を行い、スポーツの素晴らしさやチームワークの大切さを伝えています。
迫田さおりさんの魅力
迫田さんは決して全国的な有名選手ではなかった無名時代から努力を重ね、日本女子バレーボールの歴史に名を刻む存在となりました。「エリートではない自分でも、努力と仲間の支えで夢をかなえることができた」と語ります。