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《DeNA 26年前メンバー》98年優勝の立役者たち

2024年11月4日

2024年、横浜DeNAベイスターズというプロ野球のチームが26年ぶりのリーグ優勝と日本一を達成しました。当たり前なんですが26年といえば、その年に生まれた子どもが26歳になる年です。

  • 98年のベイスターズはどんな選手たちが活躍していたのでしょうか?
  • 26年前の優勝メンバーは今チーム内で、どんな活躍をしているのでしょうか?

そんな疑問について、気になる点を調べてみました。懐かしさと新しい発見の、98年チームの魅力をお伝えします。

ちなみにアルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは1905年、26歳の時でした。

1998年DeNA日本一を支えた7人の主力選手

佐々木主浩投手:守護神として45セーブ

この年、彼は51試合に登板。当時のプロ野球記録となる45セーブを挙げ、防御率も0.64という驚異的な数字を記録し、51試合中50試合で無失点に抑えるというとんでもない安定感を示しました。この年のMVPにも選出され、6月と9月には月間MVPも獲得しています。

「ハマの大魔神」という異名は、この年の新語・流行語大賞を受賞するほどの社会現象となり、日本プロ野球界全体に大きなインパクトを与えた記念碑的な年となりました。「大魔神(だいまじん)」てのは、1966年(昭和41年)に公開された日本映画に登場する守護神の名前なんだそうです。うまいこと付けましたね。

鈴木尚典選手:首位打者の輝き

鈴木選手は背番号を7番に変更し、マシンガン打線(ダサい名称…)の中心選手としてシーズン中は前田智徳選手(広島)や坪井智哉選手(阪神)らと激しいタイトル争いを繰り広げ、最終的には鈴木選手が2年連続となる首位打者を獲得しました。

日本シリーズでは、西武ライオンズとの初戦で先制タイムリーを、2戦目には4打数4安打2盗塁をキメて、5戦目まで全ての試合でマルチヒット(英語で "multiple hit" と言い、1人の選手が1試合で2本以上ヒットを打つこと)を記録。最終的には打率.480、シリーズ新記録となる9得点をマークしました。

石井琢朗選手:最多安打と盗塁王を獲得

この年、石井選手は

  • 初の最多安打タイトル獲得
  • 2度目の盗塁王タイトル獲得
  • 4度目のゴールデングラブ賞受賞
  • 球団創設以来初となる最多得点(103得点)を松井秀喜さんと並んで獲得
  • オールスターゲーム出場
  • ベストナイン選出

と数々のタイトルを獲得し、日本シリーズでも勝利に貢献する活躍を見せ優秀選手に選ばれました。

駒田徳広選手:クリーンアップの要として活躍

駒田選手は、5番キャプテンとしてチームの日本一に大きく貢献しました。シーズン前半では不振に陥ったロバート・ローズに代わり20試合ほど4番打者を務め、9月初旬までは打点ランキング2位と打点王争いにも絡む活躍を見せました。

なにしろ「満塁男」という、どストレートな愛称をつけられるなど満塁時に強く、満塁時の打率は5割、2本の満塁ホームランを含む31打点という成績を残しました。最終的には打率.281、9本塁打、81打点を記録、ベストナインも受賞しました。

三浦大輔投手:若手エースとして12勝

現監督の三浦投手は25試合に登板し、12勝7敗。自己最多となる12勝を挙げました。また防御率も3.18を記録、158.2イニングを投げ抜き、119個の奪三振を記録するなど、安定した投球を見せました。

波留敏夫選手:2番打者として打線を牽引

波留敏夫選手は2番打者として活躍、38年ぶりのリーグ優勝と日本一に大きく貢献しました。1番打者の石井琢朗選手とともに強力な1、2番コンビを形成し、安定した打撃と巧みな送りバントなどの戦術面での貢献がチームの攻撃の起爆剤となり、リーグ優勝と日本一達成の原動力となったと考えられています。

ロバート・ローズ選手:チーム最多の19本塁打

ベイスターズ史上最強の助っ人と呼ばれるロバート・ローズ選手は、この年、打率.325、96打点という素晴らしい成績を残しました。7月の阪神タイガース戦では9打数連続ヒットを記録し、続く中日ドラゴンズ戦では球団記録となる13打席連続出塁を達成。8月には自身初のサヨナラホームランを放ち、9月には1試合5打点をマークするなど、絶好調の打撃を披露しました。

98年優勝を支えた功労者たち

権藤博監督:就任1年目にして優勝へ導く

59歳での監督就任は、当時の史上最年長記録。「マシンガン打線」と呼ばれる強力な攻撃陣に加え、投手出身の権藤監督は盤石な分業制の投手陣をうまくまとめ上げ、チームの防御率を前年の4.67から3.70へと大幅に改善させました。

野村弘樹投手:左のエースとして13勝

野村弘樹投手はチームトップの13勝8敗、防御率3.34という好成績を残しました。日本シリーズでは開幕投手に抜擢され、第1戦で西武打線を5回まで無失点に抑える好投を見せました。さらに打者としても2本の二塁打を放つなど、投打両面で活躍。結果、38年ぶりの日本シリーズ勝利投手となりました。

斎藤隆投手:復活の13勝と日本シリーズの活躍

斎藤隆投手は、この年、前年の右肘手術から復帰し4月5日に中継ぎとして583日ぶりの登板を果たしました。シーズン中盤からは先発に復帰、13勝5敗1セーブ、防御率2.94という好成績を収めました。日本シリーズでは第2戦に先発、西武打線を3安打完封に抑えました。これは史上9人目となる日本シリーズ初登板初完封という快挙でした。

谷繁元信選手:打撃と守備の両面で貢献

ベイスターズの正捕手であった谷繁選手は、投手陣の力を引き出すだけでなく打者としても134試合に出場し、打率.254、14本塁打、55打点、OPS.745という好成績を残しました。彼の安定した打撃と捕手としての優れたリードが、チームの38年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一達成に大きく貢献しました。

DeNA 26年前と現在をつなぐレジェンドたち

三浦大輔監督:選手から監督へ、26年ぶりの日本一

2024年のレギュラーシーズンは3位、3年連続でクライマックスシリーズに進出しました。ファイナルステージでは主力投手の東克樹を欠きながらも巧みな投手リレーで巨人打線を抑え、7年ぶりの日本シリーズ進出を決めます。そして日本シリーズでは、ソフトバンクを相手に2連敗からの4連勝で26年ぶりの日本一を達成。レギュラーシーズン3位からの日本一は、セ・リーグでは史上初の偉業です。

特に短期決戦での采配で高い評価を得た三浦監督は、この活躍によって2025年シーズンの続投も決定しています。

石井琢朗コーチ:攻撃面のコーチとして

三浦監督同様に98年の日本一経験者である石井コーチは、2024年シーズン「チーフ打撃コーチ」兼「走塁コーチ」兼「一塁ベースコーチ」に就任し、チームの機動力向上を主要な課題と捉えて選手の走塁能力の強化に注力しました。

特に若手の林や柏原、村川といった選手たちの成長に期待を寄せて、走塁のセンスや選手の意識の重要性を強調、チーム全体の走塁に対する意識向上を図りました。さらに打撃指導においては「バッティングに正解はない」という持論のもと、選手個々の特性に合わせた柔軟な指導を行っています。石井コーチの指導方針は「できなくて当たり前」という姿勢で選手に接し、根気強い指導を行なったとのこと。根性で押し通しそうな昔と違って、しっかり時代の進化に対応していますね。

鈴木尚典コーチ:チーム戦略への貢献

DH制の対応や打順の最適化など、チーム戦略の面では鈴木コーチの影響が見られました。例えば、左足負傷のオースティン選手をDHで起用し、筒香選手を左翼に、佐野選手やフォード選手を一塁に配置するなど、打線に厚みを持たせる工夫がなされました。

また、技術面だけでなく精神面でも選手たちをサポート。特にシリーズ中に行われた「魂のミーティング」(笑)では、ベテラン選手たちと共に若手選手たちを鼓舞し、チームの団結力を高めることに成功しました。

鈴木コーチは、日本一達成後「あれからもう26年もたったのかっていう、そういう気持ちです。26年、遠ざかっていたんで本当に良かった」と感慨深げに語りました。

おまけ:1998年の国内はどんな年?

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暗すぎた…。

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